
河野三男『評伝 活字とエリック・ギル』(朗文堂、一九九九年一二月一四日、装幀=白井敬尚)によってエリック・ギルの略歴を紹介しておく。
1882・2・22
イングランド南端のイースト・サセックス州ブライトンに生まれた。父はプロテスタンの牧師、母は旅回りのオペラ歌手。十三人の子供がいたうちの第二子。
1900〜07
ロンドンで建築事務所に勤める。1901年からロンドンの中央工芸学校でエドワード・ジョンストンのレタリングとカリグラフィの授業を聴講する。1904年にエセル・ムーアと結婚。
1907〜24
サセックス州ディッチリンで工房を開き石彫り職人として活躍。ローマン・カソリックに改宗。信仰にもとづく共同社会を形成を目指して自給自足に近い生活を送る。
1924〜28
ウェイルズ州カペル・イ・フィンで清貧に甘んじた禁欲的な宗教生活を営む。1927年頃スタンリー・モリスンのモノタイプ社を訪れる。機械式組版機や自動高速印刷機に用いるための「パペチュア」と「ギル・サン」の活字書体の原図を描く。
1928〜40
バッキンガム州ピゴッツで娘婿のレネ・ヘイグとともにヘイグ・アンド・ギル印刷所を設立。タイポグラフィの世界に本格的に足を踏み入れる。『エッセイ・オン・タイポグラフィ』執筆(1930)。エルサレムで彫刻制作(1933-34)。ウェストミンスター寺院での仕事。肺の病からガンを併発。1940・11・17歿。バッキンガム州スピーンに埋葬。
カペル・イ・フィン時代のギル。

ギル・サン書体のドローイング。

本書に訳出されている『エッセイ・オン・タイポグラフィ』を拾い読みしていて、次の文章に膝を打った。タイポグラフィとレタリングの違いはこういうことだったのだ(今更ながら)。
《タイポグラフィ、つまり可動活字を使ってレタリングを再現することは、元来は木や金属でできたひとつの文字の、インクの付着した表面または「ツラ」を、紙やヴェラム(羊の革をなめしたもの)の表面に押しつけてなされるものだった。》
製本に対するコメントもちょっと目に留まった。
《製本については、ヨーロッパ大陸の諸国では書籍を綴じないで、糸でかがって紙で包むだけで発行しているが、これにはおおいに拍手を送るべき良い習慣だ。
英国の書籍購買層は、安手の書籍でも堅い表紙にこだわっているが、このこだわりは「ケース(芯紙)」と呼ばれる厚いボール紙や、板紙の表紙が考案されたことと足並みを揃えてきた。つまりこの堅い表紙は、刷られた紙が折られ、丁合され、綴じられたあとに取り付けられるもので、大量に製造されるために考えだされた。》
ギルは工業化と中世主義の矛盾を生きたわけだが、生み出された文字はまさにモダニズム(今を生きるという意味)そのものと言ってもいいように思う。