
『菱』176(詩誌「菱」の会、鳥取市立川町4丁目207小寺方、二〇一二年一月一日)を頂戴した。手皮小四郎さんの連載「モダニズム詩人荘原照子聞書」は第十六回「『日本詩壇』の頃」。
《『日本詩壇』は昭和八年四月に、吉川則比古、井上好澄、吉沢独陽らが中心となって創刊した詩誌で、昭和十九年四月の十二巻四号まで十一年間にわたって百二十四冊を刊行。満州事変に始まり、日本の敗戦によって終結する十五年戦争下の詩誌だった。
初め東京の日本書房から発行していたが。二年目から大阪の吉川の自宅に移り、発行・編集とも吉川が行うようになった。》
執筆陣は多彩で、モダニズム詩人、プロレタリア詩人、民衆詩派なども寄稿する幅広さだった。一般投稿欄には鮎川信夫、中桐雅夫、三好豊一郎らの名を見ることができるという。吉川は昭和二十年五月に歿し、二十四年四月に第二次『日本詩壇』が池永治雄らによって刊行された。
荘原は昭和十一年二月から十五年六月までエッセイや評論などの作品およびアンケートを発表している。
《誌上に三度掲載された彼女のポートレートは、その特異な詩風と相まってモダニズム女流荘原の名を喧伝するのに大きく与っただろうと思う。》
上の写真は七巻一号(昭和十四年一月)に掲載されたものだとか。不思議な魅力を湛えている。ところが昭和十三年八月に荘原が発表したエッセイが問題となって『日本詩壇』は発禁になりかけた……おっと、ここで全部書いてしまってはいけない。ご興味おありの方は直接お読みください。