
矢部登『田端抄』(書肆なたや、二〇一二年一月)を頂戴した。四六の本文二十頁という小冊子ながら、引き締まった文体によって著者の郷土である田端界隈への愛情が語られる。好著。矢部さんの私家版はこれまでも以下のようなものを紹介してきたので参照されたい。
『眩暈と夢幻 結城信一頌』
http://sumus.exblog.jp/15842494/
http://sumus.exblog.jp/10695114/
矢部登『空無頌 津軽輕一間舎本書目』
http://sumus.exblog.jp/13277677/
宵曲柴田泰助を軸にして芥川龍之介、香取秀真、大槻文彦、正岡子規、久保田万太郎などが次々引用された文章は田端、根岸、滝野川を舞台としたボン・ヴュ・タン(古き良き時代)の文学散歩を彷彿とさせる。矢部さんの個人的な記憶も鮮やかに挿入されている。例えば次のようなくだり。
《大槻文彦のことを書いた高田宏『言葉の海へ』が出たときであったから、三十三年前になる。父が新聞広告を示して、「この本を購ってきてくれないか。植木屋をしていた爺さんは、金杉の大槻文彦の邸の庭樹の手入れをしていた。」というのであった。その本は、いま、書棚にあってなつかしい。》
喫茶店文献もあったので転記しておこう。
《田端駅のホームを見下ろす崖上に出ると、前方が大きく開ける。いまは表口の崖のかどを切り崩してビルが建つが、以前その崖上には喫茶店アンリイがあった。店内からの展望がとてもよかった。
徳田一穂『秋聲と東京回顧』にこの喫茶店が出てくる。
大正十四年、徳田一穂は父秋聲につれられて芥川龍之介の家を訪問した。
そののち、五十余年の星霜をへて尋ねた田端に昔日のおもかげはなく、芥川の家の跡は荒れ果てた空地になっていた。徳田一穂はそのとき、アンリイに立ちよって、父秋聲への思いをめぐらす。》
田端をよく知らないので、田端と聞くと長谷川利行の「田端変電所」を連想してしまうが、その絵を描いた当時(大正十一、二年頃)、利行は日暮里あたりに住んでいたようだ。関東大震災で一時郷里の京都に戻った後、大正十五年に再び上京したときにも京成電車の道灌山駅近くに下宿した。《日暮里と田端の中間の三角州のどぶ川にとりまかれた、日蓮宗中山派の寺の物置小屋に棲んでいた。》(熊谷登久平『長谷川利行』)という。
ところで、最近の東京ではこんな都内おける地方美術とでも呼ぶべき展覧会が続いている(いた)。
「渋谷ユートピア 1900 - 1945」渋谷区立松濤美術館
深沢索一「代々木風景」一九二五
「池袋モンパルナス展」板橋区立美術館
一九四四年一月六日撮影、左より井上長三郎、松本竣介、麻生三郎、薗田猛、真鍋(金子)英雄
「都市から校外へー1930年代の東京」世田谷文学館
桑原甲子雄「渋谷駅前」一九三九年
田端についてはかつてこういう記事も引用していた。参考まで。
石井柏亭「道灌山」
http://sumus.exblog.jp/7501804/