本年最後を飾るにふさわしい一冊が舞い込んできた。今秋、湯川書房の本がいろいろなところに出ていた時期があったらしい。そんななかにこの一冊が紛れていた。旧蔵書が処分されたのだろう。歿後すぐにも限定本がまとめて現れたことがあったが、蔵書一代とはこういう意味なのだろうか。それもまたよし、である。


『幸田文随筆集』(角川文庫、一九五四年八月一五日)。「53」とあるのは昭和五十三年? こんな本があるのだからきっと幸田文と交渉があったのだろう。ただし『
湯川書房・湯川成一の仕事』をざっと見てみたところ、幸田文の本は出していないようだ。出そうとしていた時期があったのかもしれない、あるいはそうではないかもしれない。単にファンだったとか。
それにしても幸田文は凄い。開いて一行読んだらやめられなくなった。父・幸田露伴の臨終および葬儀について事細かく綴った「父」と死後しばらく経ったようすを描いた「こんなこと」を収録。「父」の臨終の瞬間を描いた部分を少しだけ引用してみる。文中、小林は小林勇、柳田は柳田泉、武見は武見太郎である。
《診察を済ませ、先生は小林さんやほかの人と立ち話をしてゐ、私も送りに出てゐた。「色が変わつた!」柳田さんの声だつた。たちまち死色が顔から紅を奪つて行つた。武見さんが聴診器をあてたまゝ、やゝしばらく、「さう、心臓がとまりました」と云つた。
父は死んで、終つた。》
「父は死んで」とあるが、父には「死ぬ」を用いるのが普通。「亡くなる」は用いない。露伴が死んだのは夏の暑い盛りだった。以下は歿後初めて迎えた正月について「こんなこと」の「正月記」、出だしはこうである。
《正月といふものを、私はちひさいときから楽しいものとばかりはうけとつてゐなかつた。楽しいことのかずかずはたしかにあつたが、家の中の空気はいはば警戒警報下のやうな不安な状態になつた。爆源はいつも父だつたのである。毎年、元日といふときまつて父は余計気むづかしくなつた。》
そして締めはこうである。
《今年は喪の正月であつた。かつて父に、家に伝はる文献を調べて家元たることを証してくれと頼んで来たのが縁で、古流の宇田川さんが毎年春の花をしてくれる。押しつまつて忙しい盛りを例年の通り来てくれたのを見て、喪の床だがなあと思つたのは私のあさはかさだつた。軸の無い床に茶の壁を背にして活けられたのは、ひそりと水仙たゞ二花。三ヶ日とも人は来なかつた。正月が無ければと願つたことは約二十年後になつて私にかなへられたわけだ。紙鳶の唸り、羽根の音、私の正月でない正月は寂しいものであつた。》
例によって旧漢字は改め、繰り返し記号は略した。