草森紳一の『狼藉集』で「老人になった鬼才李賀」を読んでから、李賀の詩集を読みたいと思っていたら、中国詩人選集の『李賀』(荒井健・注、岩波書店、一九五九年)を百円均一で見つけた。ぼちぼち読んでいる。
巻頭にこの詩が出ている。
李憑箜篌引
吳絲蜀桐張高秋
空山凝雲頹不流
江娥啼竹素女愁
李憑中國彈箜篌
崑山玉碎 鳳凰叫
芙蓉泣露香蘭笑
十二門前融冷光
二十三絲動紫皇
女媧煉石補天處
石破天驚逗秋雨
夢入神山教神嫗
老魚跳波瘦蛟舞
吳質不眠倚桂樹
露腳斜飛濕寒兔
箜篌(ハープ)の名人の演奏の素晴しさを描いている。形容が大げさというかスケールが大きいというか、なんだかSF時代劇映画を見ているようなキラキラした忙しい詩だ。文字の使い方は「鬼才」だけあって意表を衝かれるが、どうも安ピカな感じはまぬがれない。李賀は七歳ですでに詩を作り、十四歳のころには歌曲の作者として有名で、二十歳のときに「二十心已朽」(はたちで心はすでに朽ち果てた)と書き、二十七で病歿した。そういう作風がなんとなく納得できるような気がする。
わが家の玄関脇にある木犀の花が盛りである。風にほろほろと舞い落ちる。いかにも風情があるが、そのすぐ前は生活道路なので、舞い落ちると掃除をしなければならない。しなければならないと思いつつ、もうすこしこのままにしておこうかと。
どうしてこの写真かというと、引用した漢詩の後ろから二句目の「桂樹」とは木犀のことだからである。《吳質不眠倚桂樹》は月に巨大なモクセイが生えており、仙人くずれの吳質(吳剛の誤り)がそのモクセイを切ると、切ったさきから切り口が塞がってしまって永遠に切りつづけなければならないという説話があるそうだ(酉陽雑俎。中国版シシュフォス、昔はシジフォスと言っていたなあ)が、要するに月の世界の男までが眠らずに木犀にもたれてハープに聞き惚れているという意味。
『李賀』の口絵より内閣文庫所蔵の稀本『李賀詩集』。朝鮮活字本だそうだ。宋代の古い形を伝えるものと推定されているとか。
*
『中野書店在庫だより 古本倶楽部』244号の巻末連載エッセイ、蓜島亘「震災の余滴 余稿」第十五回に松山敏訳『ホイットマン詩集』(新時代社、一九二五年)の記事があって興味を引かれた。
新時代文芸社
http://sumus.exblog.jp/9736657/
それによれば松山は大正十一年に銀皿社を結成し雑誌『銀皿』を創刊している。詩集に『若き日の影』(金星堂)、『貧しき灯』(銀皿社)などがある。銀皿社のみならず八光社、聚英閣、文英堂書店そして新時代文芸社(蓜島氏によれば金星堂の別働隊)から訳詩集などを次々に刊行。大正十三年に文芸パンフレツト社を自宅に置きパンフレット『芸術と生活』を発刊したということだ。ここにも一人憑かれた男がいた。