
『菱』175号を手皮小四郎さんより頂戴した。「
モダニズム詩人 荘原照子 聞書」連載第十五回「秋朱之介、『マルスの薔薇』を編む」。
秋朱之介『書物游記』(書肆ひやね、一九八八年)
http://sumus.exblog.jp/5922886/
《昭和十一年七月十日『マルスの薔薇』は刊行された。二五〇部のうち十冊は和紙を用いた特製本だったというが、著者に届いたのは並製の五冊だった。
とにかく、こと『マルスの薔薇』に話題が及ぶと、口を極めて秋朱之介を罵倒した。非難の主な矛先は、一切相談もなく編まれたうえ、校正は一回きりで誤植だらけということだった。それでも腹の虫が治まらないのか、時々、秋の風評まで持ち出して攻撃することもあった。》
秋が手伝っていた昭森社から出た『マルスの薔薇』にはローランサンの挿絵が二点用いられている。それらは《ローランサンと親しかった堀口大学の所蔵品だっただろう。小石川の茗荷谷にある堀口家の大学の書斎には、ローランサンの絵がたくさん架かっていたと、秋自身も書いている》そうだ。ただ秋は『マルスの薔薇』の「あとがき」で《私はこの小さな書物をコクトオの八十日間世界一週[ママ]を思ひ乍ら自分で装釘して五日で作り上げた》と書いているところから、堀口には無断で一月ほど前に出た『マリイ・ロオランサン詩画集』から転用したのだろうと手皮氏は推測し、大学がそれに対して秋をきつく叱責したのではないかと想像を膨らませておられる。
《ただ、荘原は大学とその一門を嫌っていて、批判ついでに大学の父久万一が閔妃暗殺に関わっていたなぞと問わず語りをした。また大学一門の岩佐東一郎についても、自分を「妖婦」扱いしたと罵った。》
なかなか難しいものだ。秋が荘原の作品を評価していたのは事実のようだが、手皮氏の記述に従えば、本作りはあまりに粗雑に過ぎたし、著者をないがしろにしていたように思われる。ただこの一冊が《彼女の形見としてこの世に残ることになった》のは事実で、本は残るからこそ貴重だともやっかいだとも言えよう。
ネット上でも読めます。貴重なサイトがありました。
詩文集『マルスの薔薇』
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/library/si/shyoharateruko-marusunobara.html
ローランサン、一冊架蔵していた。『MARIE LAURENCE avec une préface par MARCEL JOUHANDEAU』(Editions des Quatre chemins, 1928)。七種類の限定版があるということが巻末に記載されている。一部本が二種類、九部、二十部、六十九部、千部、非売二十五部。これは一番数の多い千部本の一冊(No.512)で、しかも図版がいくつか無くなっていたり、切り抜かれていたりする。残念也。まあ350円だから仕方ない面もある。たぶん旧蔵者はローランサンを愛し、画集から取り外して部屋に飾ったりしていたのだろう。

大丸ミュージアムでのローランサン展のチラシと同じ作品があった。

ネット上で見つけたアトリエのローランサン。一九三二年。