熊田司さんが個人雑誌『えむえむ』(二〇一一年九月一日)を創刊された。A4サイズのスノーホワイトの上質紙にフルカラー、表紙とも二十四頁。凝ったレイアウトもすべてご自身の手になる。
中味がまたすごい。シャルル・クロス(Charles Cros, 1842-88、クロスという発音について熊田氏は日本での慣例に従ったと断っておられる。近年はクロとするようである)の詩「アンリ・クロスの - 三枚のアクワチントについて(『白檀の小匣』より)」飜訳。氏の銅版画と散文詩への関わりを述べるエッセイ。そしてご自身の版画コレクションの図版と解説。ジャック・カロ、駒井哲郎、ピエール・ミニャール二世、ジョシュア・レイノルズ、グランヴィル、亜欧堂田善、初代玄々堂、岡田春燈斎、二代玄々堂・松田緑山、大村霍峯、細井松夫、知新堂・中川耕山、河野通勢、上田肇……シブイ!
《この小冊子を開けると閑雅な別世界が魔法のように現出し、魅入られた魂がたとえ半時間なりともそこに低徊できるというのが理想ですが》とあとがきに述べておられるが、まさにそのような内容になっていると思う。小品ながらカロは素晴しい。
熊田コレクションで注目したのは河野通勢(みちせい、通称つうせい、本人も混用している)のエッチング「丸善跡」。関東大震災で倒壊した日本橋丸善の惨状が描き出されている珍品。
一方、こちらは『大正の鬼才河野通勢』展図録(美術館連絡協議会、二〇〇八年)に掲載されている「丸善跡」。版面サイズはほぼ同じ。しかし左右反転しているのだ。
エッチングはいうまでもなくスケッチを銅板の上に描きそれを腐食させてインクを詰め紙に転写する。銅板上の絵柄は紙の上では裏返しになる。これら二点は同じスケッチから制作されたものに違いないが、左右が逆である。ただしどちらも文字はちゃんと読めるように製版されている。なぜ?
ネット上で丸善倒壊写真を探してみると以下のようなものが見つかった。柱のたわみ工合から判断すると図録掲載のエッチングの方が実際の光景に近い描写であろう。ただ出来は熊田コレクションの方がよろしい。おそらく熊田版を先に制作したのだろう。
【被災当時】日本橋・丸善の画像
http://matome.naver.jp/odai/2131469347491345701/2131469466491381203
震災により倒壊せる日本橋丸善書店
http://www.pref.kyoto.jp/archives/shiryo13/fs50on/q01007.html
なお、倒壊前の丸善ビルはこのような偉容であった。
《1910/明治43年 日本橋に赤煉瓦造りの本社屋竣工。4階建て、エレベーターまで設備されたわが国最初の鉄骨建築として威容を示す。設計者は佐野利器博士(日本鉄骨建築の先駆者)。この社屋は大正12年の関東大震災で全焼》(「丸善の歩み」より)
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海文堂書店の平野さんが手書きで配布している『週刊奥の院』。これがまたみごとな手書き文字で……内容もお見事。つい注文したくなってしまうナイスな本が並んでいる。ざっと見てそそられた本たち。
『チェスの話 ツヴァイク短篇集』みすず書房(チェスの話というのに魅かれるが、ナチが絡んでくる筋立てのようだ)。山村修『遅読のすすめ』ちくま文庫、西野嘉章『新版装釘考』平凡社ライブラリー、奥村直史『平塚らいてう』平凡社新書(築添正生さんの従兄弟さん?)、久松健一『書物奇縁』日本古書通信社、『en-taxi』No.33「マイリトル・プレス、思い出の出版社、そして雑誌」……などなど。そうそう島田誠『絵に生きる 絵を生きる』風来舎も忘れてはならない。
もちろん平野さんと言えば御得意の「今週のもっと奥まで〜」もお盛んなり〜。