
長戸寛美『漫筆草市噺』(長戸寛美、一九八〇年一〇月二四日)を頂戴した。長戸は明治四十三年東京生れ。実父は茅ヶ崎上正寺の住職佐々木英之。故あって漢学者の家系である母方を継いだ。東京帝国大学法学部卒業、昭和十年検事に任官、甲府、長野、高松、広島など各地で検事生活を続け昭和四十八年最高検察庁次長検事をもって定年退官した。以後弁護士となる。
本書は著者が三十年にわたって『研修』『民事研修』『法曹』『罪と罰』の各機関誌に発表した随筆を一冊にまとめたもの。メインテーマは演劇に現れた犯罪と刑罰の研究……というと堅苦しいが、歴史資料からフィクションのヒーロー、ヒロインたちの実像を描くといった内容である。国定忠次から鼠小僧次郎吉、お染め・久松、お七などを扱って大岡忠相で締める構成。例えば、今話題のヤのつくお仕事で言えば、国定忠次。忠次は豪農の出で身を持ち崩してやくざになった。
《博徒結合、賭場開帳、常習賭博は、それが「渡世」だから目をつぶるとしても、暴行脅迫が日常茶飯、強盗、殺人、傷害の連続では、今だったら、さしづめ、暴力主義団体で特審局の御厄介ものだ。》
「特審局」は法務府特別審査局の通称。昭和二十七年に公安調査庁となったようだ。
《御掛は、池田播磨守。牧野備前守の御指図(指揮)。罪状は、前述べたように、賭博、人殺し凶状とあるが、最も重いとされたのは関所破りで、「関所難通類、山越等いたし候もの、於其所、磔」の御定書百箇条の御法通り極刑に処されたわけである。》
殺人より関所破りが重く見られたとは、のんきそうでも大変な時代だなあ。その処刑は嘉永三年十二月二十一日。行年四十一。ちなみに数え二十一歳の吉田松陰が九州を巡歴して萩にもどったのが同年同月二十九日である。ペルリの浦賀来航まで二年半という時代だった。
こんな切り抜きが挟んであった。

他に長戸が「本を買う話」を執筆している『月刊提言』122号(提言刊行会、一九八三年六月二〇日)も挟んであった。かなりの読書家だったようだ。母方の曾祖父は長戸得斎だという。
《大学時代、丸ビルの古書展で、私の曽祖父 長戸得斎が嘉永三年(これまた嘉永三年!)に刊行した「得斎詩文抄[鈔]」(和綴木版・全三冊)を発見したときは嬉しかった。得斎、名は寛司、岐阜加納藩の藩儒であり、江戸昌平黌の教授方をつとめた。ほかに「北御[道]遊簿」等の著書があるそうだが、まだ見つからない。》
『得斎詩文鈔』はいくつかの図書館に収蔵されており、『北道遊簿』は目下、むむむの値段で日本の古本屋に出ている。それはそれとして、ちょっと目にとまったのは次の文章。
《文字どおりの兎小屋ーー狭いわが家のどの部屋も本だらけ》
「兎小屋」はこの頃から使われていたのだなと思って調べてみると《(rabbit hutch)一九七九年、ECの非公式報告書の中で、日本人の狭い住居を形容した語》(『広辞苑』第四版)だそうだ。ただし「兎小屋」というのはフランス語で「Cage à lapin」(ウサギの檻)なのだが、フランスでは一九七〇年代から大規模な集合住宅のことを「うさぎごや」と称していたらしい。で、報告書でもそういう
「集合住宅のような」というコンテクストで用いられたらしいのである。
では、フランス人が「うさぎごや Cage à lapin」と聞いてイメージするのはどんな家か? いくつか検索してみたので、お閑な方はご覧あれ。文化財になっている「うさぎごや」もある。
La Cité radieuse [Monument historique]
http://fr.wikipedia.org/wiki/Cité_radieuse_de_Marseille
Cage à Lapin ...
http://stephaneraould.canalblog.com/archives/2009/10/02/14913741.html
Vive les cages à lapin !
Cage lapin pliante Mega Rabbit