昭和十四年五月調「鉄道旅行案内図」。北は樺太から南は台湾までの省線の全駅(ではないかも知れないが、かなり詳しいようだ)と私鉄および鉄道連絡船とバスの路線も記されている(こちらはアバウト)。紙の短辺の片方に糊を剥がした跡があるので時刻表か何かの折り込み付録であろう。
鉄道関係は詳しく調べられており資料も豊富なので、この地図がどうこうではないにしても、戦前昭和期の鉄道のイメージをつかむにはコンパクトでもってこいである。紙の寸法は12.5センチと55センチ。表面は本州と四国、裏面はここにスキャンした外地の他に北海道、九州、沖縄、樺太の路線図が収められている。
昭和十四年の地図にちなんで。某氏が見つけて送ってくれた岩波文庫、問題はその帯。「慰問袋に岩波文庫!」。出征兵士をねぎらうために品物を贈ることを恤兵(じゅっぺい)という。国語での用法で漢語にはない。恤(ジュツ)の意味は「うれえる、あわれむ、とむらう、いつくしむ、めぐむ、すくう」など。慰問袋そのものを指して「恤兵」と言っていたようだ。キャラメルなどの食品、煙草、ブロマイド他、細々とした品を入れたらしい。
この岩波文庫は鈴木三重吉の『千鳥』(一九三九年一二月一〇日七刷、初版は一九三五年)である。《15.4.1 原宿、文輝堂》の書き込みがある。学生時代の三重吉が郷里に近い島で療養していたとき夏目漱石に送った処女作「千鳥」他、初期の短篇を集めた内容。明治末期の瀬戸内海の島が舞台のじつにのんびりした話なのだけれども、こういうのが恤兵に向いているのかもしれない。