
某氏よりコピーを頂戴した。中田政三『カフエーの営業政策と新興建築』(新興カフエー研究協会、一九三四年)より、大阪堺筋の「フランスバア」。基本設計はル・コルビュジェだというから驚く。写真のキャプションを拾ってみると以下のようなことが記されている。
《仏蘭西新興建築の権威ル・コルビュジェ氏純粋還元派の設計、インターナショナル建築協会工学博士中尾保氏、同協会酒井清一氏と著者の合作。
ガーデンの花弁が硝子張りの軟かい感覚を通して視られる所に芸術フランスを表徴するものとして紳士よりも淑女に喜ばれるガーデンルーム。
造花的の装飾と飾額などを廃して熱帯植物と洋酒ポスターを採り入れた新感覚は正に新興芸術の精神を汲み入れたものとして推奨せらる。
軽快にして純白なエナメルに新鮮なる植物を配したところはまさに「新興美術建築」として芸術的な価値を認識せられた。
サロンを書斎風にしつらえたところに最も新しい感覚が窺はれるものとして好評を博す。
特にスクリーンを以て書斎的なボツクスをしつらへ加ふるにスポーツ的なネットを採用するなどすべて新感覚を出してゐるのが特徴である。
チーク材に純白のエナメルを塗り金具は全部ニツケルを用ひ玻璃も全部純白の磨硝子を用ひて之に光を透して調和したる処に同派の特徴がある。
断裁的なところが同派の特徴。》
文中「インターナショナル建築協会」は「インターナショナル建築会」が正しいようで、一九二六年にウィーンから帰朝した上野伊三郎が妻リチとともに京都市上京区竹屋町に「上野建築事務所」を開設。同会は上野と早稲田大学時代に同期であった大阪在住の建築家・中西六郎や中尾保、大阪市の技師で上野の先輩だった伊藤正文、そして京都高等工芸学校図案科教授・本野精吾らと一九二七年七月二日に設立された。当初の同人は、上野伊三郎、本野精吾、石本喜久治、中尾保、伊藤正文、新名種夫の六名。
《これは京都のみならず、関西の地から、広く国内外に発信されたはじめての建築運動として注目すべきものでした。上野伊三郎の海外でのネットワークも駆使して、外国会員にブルーノ・タウトやE.メンデルゾーン、J.ホフマン、P.ベーレンス、W.グロピウスなどを加え、1929年8月に機関誌『インターナショナル建築』を創刊します。》(京都国立近代美術館のHPより)
ということで設計をコルビュジェに委嘱したのであろうか。酒井清一については不詳。中田政三についてもあまりよく分からない。「インターナショナル」という命名が、彼らの気概はともかくとして、いかにもローカルな感じをもよおさせるのが面白い。
文学の世界でも、横光利一らの「新感覚」とか「純粋」小説といった言葉や志向はこれらの建築やインテリア造型の流行(ピュリスムと呼ばれたりするが)と深くあるいは浅く関わっている。佐野繁次郎の昭和初期の画風もまさにこの調子であろう。