『独歩詩集』(紅玉堂書店、一九二四年二月一〇日十五版、初版一九二三年一二月二〇日)。どうやら箱があったようだ。表紙画には「T.MAEDA」というサインが見える。独歩の詩に興味があったわけではなく、奥付の検印紙に惹かれた。
初版が大正十二年十二月ということは関東大震災の直後に出たもので「帝都復興に/努力しませう」と検印紙に刷り込まれているのがちょっと珍しいかなと思った。気になったのは「陽吉」という印。独歩ではないし、この詩集を編集した三木露風でもないようだ。あるいは西村陽吉(東雲堂書店主人、大正二年に『独歩詩集』を刊行)?
跋を三木露風が書いている。
《氏の父家は私と同様、播州竜野藩の旧士族である。そして独歩氏の曾祖母におもんといふ人がある。此おもんといふ人は私の家から出て国木田家へ嫁入つた人である。おもんといふ人の夫を権左衛門と云つて其間に氏の厳父専八氏が生れられた。専八氏のことは今私の年老つた小母なぞは熟く物語する。》《ともかく然ういふ風で、国木田家の墓は代々土地の法華寺にあつて、明治三十年頃まで私の家で供養を営んで来たのである。》
これを読んで思い出したのが司馬遼太郎『手掘り日本史』(集英社文庫、一九八〇年)の冒頭、自分の出身地について書かれているくだり。司馬の祖父は播州姫路の広という村の出身。江戸時代の播州は和算が盛んで、祖父は本願寺の固門徒だった。
《私の先祖の宇野某も、土着しなければならなくなって、広に住みつく。播州では、どの村にも、先祖が三木城に籠城したという伝説がありましてね。三木籠城戦というのは、播州人にとっては神話のようなものです。》
三木籠城戦は言うまでもなく羽柴秀吉に攻められ二年にわたって抵抗した有名なお話。
《明治になって、百姓も姓をつくらなければならなくなった。播州の人間は、三木になるわけです。自分の祖先は三木城で戦った、ということから、三木という姓になる。三木露風も三木清も、みなそうですね。》
司馬遼太郎の家は祖父が親類に金を借りて迷惑をかけていたため、三木にしようとしても三木にさせてもらえなかった。播州英賀(あが)の宇野氏が祖先だと伝えられていたにもかかわらず、曾祖母のおふくさんが役所で相談したときに「ふく」という名前から「福田」にしろと言われて福田氏になった、《考えてみればずいぶんいい加減な話です》ということだそうだ。
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本日は少々急ぎの仕事があったため書斎に籠っていた。明日はメリーゴーランド最終日で午後五時まで。午後一時頃から会場に出かけている予定。駆け込みでどうぞご覧ください。
林哲夫展 在るがまゝ 7月8日〜20日(14日木曜定休)
メリーゴーランドKYOTO
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