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臭い飯![]() 市中に買物に出かけた。その前に善行堂へ回り『星を撒いた街』を手にした。外に出ると、なんと生田誠さんにバッタリ。両国に住んでいるのだが、絵葉書の現地調査(先日紹介した東京編、大阪編に続いて京都編が九月刊行予定)だとか。バスで南下して三条橋西詰のスタバでしばし雑談。 * またまた小林勇『山中独膳』より。昭和二十年五月九日、小林は刑事五人によって東神奈川署へ連行され、結局、敗戦後の八月二十九日までそこに留置された。いわゆる「横浜事件」に巻き込まれたわけである。 《取調べの刑事たちは「岩波書店をつぶす」と公言し、「いくらお前が強情張っても無駄だ」といった。ぼくは苦しい、痛いめに会ったが、そのことは書かない。》 で、食べ物のことを書いている。 《ぼくがいった当時は、朝は実のない味噌汁に、麦飯の握飯が二個、昼も漬物と握飯二個、晩も同じようなものが出た。握飯二個というとよさそうにきこえるが、握拳より小さいものだ。何しろはげちょろで欠けた汁碗に入ってしまうのだから、米にしたら五、六勺というところだろう。腹がへっているから、それをがつがつ食った。お握りには塩がついていた。 そのうちに味噌汁がついて来ないようになって、代りに水が出た。》 「麦飯」とあるのは次の引用から麦と米を混ぜたものだと分かる(米四分麦六分だったともいう。健康食だ)。五月二十九日には横浜大空襲があった。鉄筋コンクリートの東神奈川署は焼け残ったが、見渡す限りの焼け野原の中を人々が歩いているのが留置場から見えた。そして 《麦の代りに大豆になった。そのうち米より大豆の方が多くなり、やがて、椀一杯の大豆だけになった。》 一月半ほどで小林は《牢名主》になり、鎌倉の義母から差し入れを運んでもらった。それも困難になり、今度は看守に差入屋を世話してもらった。 《そこへ玄米でいいから届けておくと、差入弁当を作ってくれるのだ。その値段がどのくらいだったか覚えていないが、ともかく差入れで生命を細々とつなぎながら取調べに堪えていた。そのころのいわゆる思想犯は、留置場に半年くらいはおかれたから、差入れをしてくれる人がなかったら、飢餓に陥り、病気になり、死んでしまう。三木清がその悲しい実例である。》 話は監獄つながりで『吉田松陰書簡集』(岩波文庫)に跳ぶ。松陰は安政元年(一八五四)アメリカ船による渡海計画が失敗して江戸の獄舎に繋がれた後、萩の野山獄へ移された。いっしょに渡航しようとした盟友金子重之助(重輔)が獄死したのを悲しみ悼んで、その墓を作るために自らの食費を削って寄付をしたという。 《寅[松蔭の名]、月俸内にてなりとも非常之倹節を用、金百疋を拈出し寄付となし》云々 ということは食事代は自分で払っていたということになるのだろうか? また獄中で酒を飲むなどもそう珍しいことではなかったようだ。 《往昔含酒(酒飲)事盛なる時は、撚が忙敷と申立夜燈を願ひ、撚は不撚して盃を含み、或は蝋燭を燈し酒を飲》云々 撚は紙撚を作る内職。囚人たちが内職する口実で明かりをもらって酒を飲んだということ(内職するならその収入があるのだろうか)。松陰は一時、野山獄から父の家に預けられ、松下村塾を開くのだが、安政五年、ふたたび投獄される(安政の大獄)。幕府のやり方に憤懣極まった松陰は死をもって訴えるべく獄中で断食を行なった。安政六年一月である。それをいさめる父母、叔父の手紙も収録されている。 《きのふより御食事御たちとか申事のよしおどろき入り候。》《たんりよ御やめ御ながらへのほどいのり参らせ候。此品わざわざとゝのへさし送り候まゝ、はゝにたいし御たべ頼み参らせ候。いくへもいくへも御心御ひきかへ、かへすがへすもいのり参らせ候。めで度かしこ。》(繰り返し記号は省略) これは母からの手紙である。いかに松陰が愛されていたかが伝わってくる。対して松陰は父にこう書き送った。 《水一椀釣柿[つるしがき]一つ給[たべ]申候。先御安心奉願候。》 この後、松陰は江戸の伝馬町の獄へ送られ、安政六年十月十七日に獄中の処刑場で斬られた。満二十九歳二月余であった。
by sumus_co
| 2011-07-04 21:57
| 写真日乗
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