
横道が続いたが、探していた図はこちら。コンティーノ(COMTINO, 1420-c. 1485)のトーラーの注釈書(Kelil Yofi=美の王冠、あるいは Ma'amar Mordekhai として知られる)の写本である。一五〇〇年頃にオスマン帝国の、おそらくコンスタンチノープルで制作された。
問題はこの頁がコンティーノの詩で、実のなる樹木の形をとっているということ。そう、折りに触れて紹介しているコンクリート・ポエトリーのかなり古い作例なのだ。
具体詩(concrete poetry)
http://sumus.exblog.jp/11673191
マラルメの『骰子一擲』(一八九七年、直訳「サイコロのひと振りは決して偶然を廃止しないだろう」)がアポリネールの『カリグラム』に影響を与えた。そう言われることがあるのだが、それはたしかにそういう面もあるのだろうが、どちかというと、マラルメよりもコンティーノのような古い時代の形象詩に触発されたのではないかと思うのだ。
Un coup de dés jamais n'abolira le hasard
http://www.theoriedesigngraphique.org/?p=349
次の図が『カリグラム』からのふたつの例。二番目は雨。
以前、ハート形になっている墓碑銘も紹介した。

ピエール=マルセル・アデマ『虐殺された詩人アポリネール』(鈴木豊訳、講談社、一九七七年)にはこう書かれている。
《のちに彼は、リリックな表現の新形式の研究をさらにいっそう進めることになる。いわば周辺のリリスムを記録しつつ、しかしさらに古典的な作詩法の平行線を表現するために利用しながら、視覚の同時性を置き換えるべき運命を与えられ、そしてそれを読むことによって生命の中心で詩人を捉えさせる会話詩のあとに、印刷上の同時性ともいうべき「イデオグラム」が続く。その最初の試みは、一九一四年六月十五日の「レ・ソワレ・ド・パリ」紙上に、当時メキシコにいた弟のアルベールに宛てた手紙「大洋の手紙」"Lettre-Océan" によって表現される。
アポリネールはここで主要な地位を占めるとは主張していない。彼は四世紀からギリシア詩人シミアスが「図で表わされた詩句」を書いたことを、その作品が彼にとっては親しいものになっていたルネッサンスの詩人たちが、再びこの試みをしていたことを心得ている。ヴィリエ・ド・リラダン、マラルメは彼よりも以前に新しい印刷上の構想に訴えていたし、マリネッチや未来派の詩人たちは「解放された言葉」の端緒を開いた。このジャンルでの彼の最初の試みは、こうしたさまざまな企てにそのインスピレーションを受けている。》
「大洋の手紙」は『カリグラム』ほど具象的ではなく、タイポグラフィの練習といった感じであるが、とにかくさまざまな先人の要素にヒントを得たことは間違いない。ギリシャやルネサンスの形象詩というのもそのうち探してみよう。
CALIGRAMAS
http://www.antoniomiranda.com.br/poesia_visual/apollinaire.html