
『日本古書通信』983号が届く。ざっと目を通す。古書の幅広く奥深い世界が展開しており、毎月のことながら、めまいがする。今月は岡嶌偉久子「木村三四吾先生のこと(下)」に目がとまった。下なのだから上があるわけだが、先月は読んでいなかった。あわてて先月号をめくる。木村三四吾は天理図書館貴重書室主任、『善本叢書』編集責任者でもあった。後、大阪樟蔭女子大学教授。平成二十年四月歿。
《木村先生は本がお好きであった。本を調べて、本を読んで、生涯を過された。先生流に言えば「本と討ち死にだ」という御生涯であったと思う。》
岡嶌女史は木村から自筆の書を二枚もらい自宅の壁にかけているという。その一つは『欧陽文忠公集』巻九読書説の一編(全文はネット上で閲読できる)。
吾生本寒儒
老尚把書巻
眼力雖已疲
心意殊未倦
もうひとつは『世説新語補』補部の一節。
黄太史云、士大夫三日不読書、則理義不交於胸中、
便覚面貌可憎、語言無味。
《これをくださる時には「なあ、君も、本を読まないとひどい顔になるぞ」と言われた。》とか。
『世説新語』は中国南北朝の宋の劉義慶が編纂した逸話集だが『世説新語補』の方は明代に編集されたもので、江戸時代にわが国でもよく流布したそうだ。黄太史は黄山谷のこと。この文章はどこかで昔読んだことがあった(むろん『世説新語補』ではない)。今、メモ帳を調べてみると,石川淳が「面貌について」でこう書いている。
《黄山谷のいふことに、士大夫三日書を読まなければ理義・胸中にまじはらず、面貌にくむべく、ことばに味が無いとある。》《士大夫の文学は詩と随筆とにほかならない。随筆の骨法は博く書をさがしてその抄をつくることにあつた。》《三日も本を読まなければ、なるほど士大夫失格だらう。》
『夷齋筆談』の一編だから冨山房百科文庫版で読んだのだろう。もう架蔵しないが。黄山谷については高村光太郎がその書が好きで手本にしたというようなことを以前このブログでも書いている。
黄山谷こと黄庭堅
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