アナトール・フランス『少年少女』(三好達治訳、岩波文庫、一九四〇年五刷)。三好達治は「あとがき」でこう述べている。
《この本は一八四四年に生まれて一九二四年になくなつた仏蘭西の文豪アナトール・フランス(Anatole France)が、一八八六年巴里のアシェットといふ本屋から単行本として出した「我々の子供達」(Nos Enfants)という本の全訳です。この本はその後一九〇〇年に至つて、また改めて上下二冊本として刊行されました。》
その下巻のタイトル「少年少女」(Filles et Garçons)を邦訳として借用した。
《この本の飜訳に当つては、右にあげたアシェット社発行の二冊本を底本として用ひた外に、同じく巴里のカルマン・レヴィー社から出てゐる、アナトール・フランス全集本中の第四卷をも用ひました。この訳本中に挿入されてゐる版画は、その全集本から借用したものです。画家の名前はエディ・ルグランといひます。》
いま検索したところ初版は一八八七年のようだ。このときの挿絵はあのブーテ・ド・モンベル(Louis Maurice Boutet de Monvel)が描いており、それはうつくしい本になっている。
Fichier:Anatole France - Nos enfants.djvu
http://fr.wikisource.org/w/index.php?title=Fichier%3AAnatole_France_-_Nos_enfants.djvu&page=1
戦前の全集版(一九二五〜三五)から取ったというエディ・ルグラン(Edy-Legrand)の挿絵も悪くはないが、中世風のモダニズムはやや物語にそぐわないような気もする。エディ=ルグランは一八九二年ボルドー生れ。一九七〇年歿。一九一九年にNRFから子供向けの本『
Macao et Cosmage』を刊行して一躍脚光を浴びた。アールデコのイラストレーションである。二〇年代から三〇年代にかけて新進画家としても活躍したようだが、その後モロッコに住み着いてしまったという。近年になって再び評価が高まっているらしい。
上の挿絵は「牧羊神の笛」。村へやってきた行商人の車。《行商人が臘引きの覆ひ布をとりのけると、突然そこに現れ出た小刀や、鋏や、小さな鉄砲や、機械人形や、木や鉛の兵隊や、香水壜や、石鹸や、絵版行や、それらの無数の眩ぶしいばかりの品物が、村の男女や子供たちの眼を奪つたのでした。》なかにけばけばしい色合いの《エピナール出来の版行[はんこ]》があって子供たちは顔を赤くして見つめたという。
本の行商人
http://sumus.exblog.jp/13802970
エピナール版画の「人生の階段」
http://sumus.exblog.jp/14047359
「芸術家」。ミシェルは画家の子供。父親の真似をして毎日絵を描いている。それを仔猫が台無しにしてしまう。《凡そこんな風にして才能といふものは不運にうち克つてゆくものです。》
「ジャックリーヌとミロー」。《ジャックリーヌは小娘で、ミローは大きな犬です。》《ミローは、彼女の中に一つの力がかくれてゐるのを、たとへどんなに小さくても、彼女が貴いのを知つてもをり、感じてもゐるのです。で、彼女を尊敬し愛してゐます。うちとけた様子で舌なめずりもいたします。ジャックリーヌもまたミローを愛してゐます。》……ところがある日ミローが一本の樹につながれているのを見てジャックリーヌはショックを受ける。《さうしてとりとめもない悲しみが彼女の小さな魂を満しました。》