
『こうべ元町100年』(元町地域PR委員会、一九七一年一〇月二〇日)の写真より、昭和十三年に阪神大水害に見舞われた神戸元町。六丁目にあった三星堂の前から東を見たところのようだ。三星堂の二階がソーダファウンテンになっており、神戸文化人のたまり場のひとつだった。このときには元町西側入口にあった宇治川が氾濫し大丸前の一丁目まで元町全体が泥の海と化したという。
昨日少しだけ触れた季村敏夫さんの「本庄」、その記事がどこかにあったと思って探していたら、水害の三星堂を見つけたというわけだ。次は『喫茶街』昭和十二年一月号(話の王国社森田書房)の「阪神茶房巡り」に出ている「阪神・野田・茶房パリス」の女給さん。神戸の喫茶店案内もあるのだが、六丁目「三星堂」、一丁目「ブラジレイロ」、五丁目「モトブラ」、一丁目「ビーハイブ」だけしか紹介されていない。残念。

さらに岸本水府『京阪神盛り場風景』(誠文堂十銭文庫、一九三一年四月一五日)を当ってみると、「元町」の項にこう書いてあった。
《この町のカフエーの創設者ともいふべきフルーツホール、三十一年型のエスペロ、洋書の金文字が光る書店で川瀬日進堂、宝文館、その日進堂の横町を入ると鰻屋の江戸幸、小料理の穴門亭、大部分外人の客が来るビフテーキ屋などがあるが、さらに本通に戻ると精肉屋でみつわ、恐らく日本で最も古いだらうと言はれてゐる柴田洋服店、楠公父子訣別の画を瓦形の煎餅へ焼きつけた煎餅屋の亀井堂、きんつばで名高い高砂屋、本庄写真部と喫茶部、大丸食堂などである。》
場所を書いてくれていないのが残念。《三十一年型のエスペロ》とは店主がエスペラント語を勧めるエスペロ書店のことだろうか? 川瀬日進堂は二丁目、宝文館は五丁目、柴田洋服店は四丁目、亀井堂は六丁目、高砂屋は三丁目。う〜ん。ならばネットで調べた方が早いかと思ったら、案の定である。
元町通の写真機店(4) 「本庄商会」
http://kobe-motomachi.or.jp/cont06/cont06-840.htm本庄商会のマッチラベル
http://kdskenkyu.saloon.jp/ml02mot.htm大正三年に元町三丁目山側「本庄呉服店」内に「本庄商会」は創業した。渡米してイーストマン・コダックに入社した経歴を持つ本庄憲三郎が店主であった。大正九年にはコダックの社長が来店、十五年には六丁目に「本庄商会卸部」を開設し、三丁目の店を改装して「本庄フルーツパーラー」を開店したという。これで及川英雄の回想が不正確(または誤植)だということがほぼ確実になった。
ついでに『こうべ元町100年』に出ている別の写真「昭和初年の元町1・2丁目」。これはモノクロ・コピーなのではっきりしないが、検索してみると、この角度から撮った元町の写真絵葉書はいろいろ出ているようだ。

左の端にコダックの看板が上がっている。看板だけで店は左手前で切れてしまっているのだろうが(?)、ひよっとしてここが本庄商会かもしれない。