
昨日の『黄葉夕陽村舎詩後編』で引用した書き入れのすぐとなりにも興味深い記述があった。「次韻合麗王見贈」と題された詩の註。漢字を引き写すのが面倒なので写真で見ていただく。「次韻」は他人の詩と同じ韻字をその順序通りに用いて詩を作ること。タイトルの「麗王」に《字(あざな)ナリ》とあって上部に《細合半斎》と記している。
能書ニテ真行草
三体ヲ窮ム
先生麗王ノ子某ヲ元ヨ
リ識ル因テ麗王ノ事ヲモ
聞及ヨブヲ云ナリ
細合半斎(ほそあい・はんさい、享保12年1727~享和3年1803)、名は離のち方明、字を麗王、半斎・学半斎・斗南・白雲山樵・太乙眞人・武庫居士などと号し、通称は八郎右衛門または次郎三郎。伊勢の人。書は松花堂昭乗の流れを汲む滝本流に私淑。篆刻もよくした。京から浪華に転じ、菅甘谷の門に入り、混沌詩社の加わった。江嶋庄六あるいは細合八郎衛門の名で書肆を営んでもいる。
菅茶山は延享五年(一七四八)生れなので《子某》(長庵?)と同じくらいの世代ということになる。《聞及ヨブヲ云ナリ》と註されているが、菅茶山も混沌詩社に加わったことがあるそうだから麗王に会っているのだろう。詩の《鳳穴》は混沌詩社のような場を指すか。《謝超宗》は文に優れた南朝宋から梁にかけての政治家らしい。
半斎の篆刻がどのようなものなのか知りたかったが、今手許にある貧しい資料のなかには何も見つからなかった。ただ『書道全集 印譜・日本』(平凡社、一九七一年四刷)を開いてみると、菅甘谷門人で混沌詩社に加わった印人には葛子琴(一七三九〜八四)があり、また曾之唯(そうしい、一七三八〜九七)は半斎の門人だとしてある(曾之唯の墓碑銘は半斎の撰になる)。二人とも篆刻は高芙蓉に学んでいるから、おそらく半斎の印もその系統だろうか。参考までに曾之唯の印を二点引用しておく。