
宇崎純一が大正十四年に開催された大大阪記念博覧会の「女の大阪」の展示を任されたということは分かっていたが、その具体的な資料が手に入った。『大大阪記念博覧会誌』(大阪毎日新聞社、一九二五年九月二九日)である。少々難アリで安かった。
同博は同年三月十五日から四月三十日まで天王寺公園の特設会場と豊公館(大坂城天守台に作られた仮設建築)で開催された。天王寺会場に「〜の大阪」と銘打たれたブース展示が二十七。「女の大阪」は主任委員が毎日新聞本社事業部長・橋詰良一。委員が四人。寺川信(大阪女性史の調査)、浅井治子(女子職業及び活動調査)、皆川浜子(最近の家庭手技調査)、そして宇崎純一(陳列意匠及絵画担任)である。下の写真は「大阪婦人団体の活動」。スミカズの絵らしきものが見える。
大阪は大正十四年四月に近隣の町村を合併して人口二百三万余人となり「大大阪(GREATER OSAKA)」を形成した(当時、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、パリー、シカゴ、東京に次ぐ世界第七位)。大阪毎日新聞は同年二月二十七日、一万五千号に達したこともあり、それらを記念する博覧会であった。入場者数合計は天王寺会場が1,200,082人、豊公館が698,836人に達したという。

巻末「編入町村の概況」より「粉浜村」。西成郡の南端で住吉公園に隣接する。住宅地として人口が急増していた。昭和の初めに宇崎純一は難波の駅前から粉浜へ移り、ここで生涯を終えたのである。