
松山省三「河の中の湯滝」(帝国美術院第一回美術展覧会、神田美土代町一ノ四四美術工芸会発行、一九一九年)絵葉書。これも以前紹介した飯田衞の所蔵だった一枚(飯田の印あり)。
松山省三は明治四十四年四月、銀座日吉町(西銀座八丁目並木通)に開店したカフェー・プランタンのオーナーである(詳しくは『喫茶店の時代』p90〜)。カフェーというかレストランだった。松山は東京美術学校を出た画家だということはいろいろな人が書いているが、作品がどのようなものかは知らなかったところ、先頃一点発見した。これについては既報。
松山省三が描いた油絵「プランタンの卓」
http://sumus.exblog.jp/12691352
そしてこれが二点目(むろん小生にとって)。威勢のいい筆致の「プランタンの卓」と較べると、やや構図に凝り過ぎているように思う。

こちらは島添鶴雄「仕度」、松山の絵と同じく帝国美術院第一回美術展覧会出品らしい。同じ箱のなかから見つけた。かっちりとした描写で好感がもてる。どこかの洋食店であろう。「プランタンの卓」と似ているところもあるが、もう少し地味な店だろうか。島添鶴雄については今は詳しいことは分からない。洋画家。東京都出身。キンダーブックに挿絵を描いていた……というていど。

松山省三は風貌が永井荷風に似ていたそうで、荷風も常連の一人だったためよく間違えられたらしい。ということで大正三四年頃のプランタンで撮影された「世界巡り大会」の記念写真を出してみた。
松山自身の説明によれば(『嗜好』四〇七号)、奥左より、流行だったトルコ帽をかぶる大槻弌雄(かずお)、となりの貼紙には「この奥に正宗白鳥あり」と書かれている(写真嫌いの白鳥が奥へ引っ込んだ)、画家・萩原一羊(誤植? 荻原一羊か)、箏曲家・鈴木鼓村、画家・辻永、画家・大給近清。前列左より、田崎の鉄ちゃん(洲崎の妓楼「大八幡」の息子)、岡田孤煙(国民新聞文芸部記者)、松山省三、喜熨斗(市川猿之助)、その前が猿之助の弟子、画家・平岡権八郎(新橋料亭「花月」の息子)、その前が女給・お清さん(木村荘十の姉)、右端も女給(名前失念)。
ちなみにプランタンのビフテキは二十五銭、マカロニが二十銭ぐらい、コーヒーは高くて十五銭だった(パウリスタが五銭の頃)。