
親鸞七百五十回遠忌とは何の関係もないが、昔、二百円で求めた『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』が気に入っているので、思いついてアップしてみた。タテ185ミリ。
もちろん『正信念仏偈』は親鸞が作ったそうだから何の関係もないというわけではないが、無信心者であるからして、これを誦唱するということはない。だいたいが当家の宗旨は真言だし。しかし表紙が失せてしまって残念にせよ、本として、文字組としてなかなかに美しい。雲母(キラ)引きの用紙も。

本文はすべてひらがなで書かれているが、本来は漢文である。この見開きの該当部分を引用しておく。志は「し」とした。
一切群生蒙光照 いつさいぐんしやうむくわうせう
本願名号正定業 ほんぐわんミやうがうしやうぢやうごう
至心信楽願爲因 ししんしんけうぐわんにいん
成等覚證大涅槃 じやうとうがくしやうたいねはん
必至滅度願成就 ひッしめつとぐわんじやうじゆ
如来所以興出世 によらいしよいこうしゆつせ
唯説弥陀本願海 ゆいせミだほんぐわんかい
五濁悪時群生海 ごぢよくあくじぐんじやうかい
応信如来如実言 おうしんによらいによじつごん
能発一念喜愛心 のうほいちねんきあいしん

この部分はやはり親鸞作の『讃阿弥陀仏偈和讃』。原文は漢字とカタカナで書かれているそうだ。
空雲無碍如虚空 くわうんむげによこく
一切の有碍にさはりなし いちさいのうげにさわりなし
光沢かふらぬものぞなき くわうたくかむらぬものそなき
難思議を帰命せよ なんしぎをきミやうせよ
《「正信偈」とともに和讃の諷誦が、後来仏前の勤行として行なわれることになったのは、教義信仰の弘伝の上からも、生活行儀の面からも、極めて重要な意義を持つものである。》
《通常は朝夕の二回に修するようになった。真宗ではこの勤行を俗に「おつとめ」と称し、僧俗に通じて行なうのであるが、それは全く念仏の助業であり、仏祖に対する報恩感謝の行業に過ぎないものとする。》
《文明五年(一四七三)三月に、蓮如が末代興隆のため、「三帖和讃」、ならびに「正信偈」四帖一部を開板したということも、僧俗一般が諷誦の必要に応じたものと考えられる。本願寺ではその後、歴代の宗主によって幾度か「正信偈」「和讃」が改版されたが、みな「文明本」を襲用している。)》(名畑応順校注『親鸞和讃集』岩波文庫、一九七八年版、解説より)
なお表書きにある文化十五年は文政元年、一八一八年。伊能忠敬、司馬江漢が歿した年で、翌年には塙保己一『群書類従』刊行、一茶の「おらが春」が成るといった時代。