前田律子『居候としての寺山体験』(深夜叢書社、一九九八年三月一五日)より。写真も同書(『テラヤマワールド寺山修司全仕事展』新書館、一九八六年、にも掲載)。
《お母さんの喫茶店
地下が小劇場、一階が喫茶店、三階が事務所という、念願の天井桟敷館が完成したのは劇団発足から二年後、一九六九年の三月でした。建設費が思いのほかかかったらしく、お母さんからかなりの額を出資してもらったようです。その代わり、劇団で経営するつもりだった一階の喫茶店の営業権をお母さんに譲り、オープンと同時に和服をビシッと着込んだお母さんが、出入りするようになりました。
小劇場のこけら落しは、萩原さん演出の「時代はサーカスの象に乗って」芝居を観にきた客が開演前や閉幕後、お母さんの喫茶店でくつろいでいましたが、一ヶ月の公演が終わると、当然の事ながら客足がガクンと落ちたのです。
それから間もなくして、「喫茶店の売り上げに響くから、オフクロが劇場を空けないで、何かヤレって言ってきてるんですよ」、スタッフ会議の席上で寺山さんから持ちかけられました。》(四八頁)
《私達は納得いかないまま結局は、寺山さんに押し切られた形で、一週間置きに催し物を担当することになりました。
緊急に皆で出し合った企画は、(1)ボクシング形式で討論を進めていき、最後に本物のレフリーによって勝敗が決められる「深夜討論」、(2)本物のイレズミ師にイレズミを彫らせる「実演ー刺青」(3)ふとんの中で性の体験を告白させる「私の性的自叙伝」など。……
今、考えてみるとどれもこれも、ユニークな企画ばかりで、お母さんが希望した通り、一週間おきに内容を変えながら、劇場を休むことなく、公演は続き、喫茶店は、連日、忙しいようでした。これでお母さんの機嫌は良くなりましたが、私達スタッフはスケジュールに追われバテ気味の日が続きました。》(四九頁)
天井桟敷館は
粟津潔デザインで一九六九年開館、七六年に閉館した。渋谷の並木橋近くということで調べてみると、現在の住居表示は「東京都渋谷区渋谷3丁目11-8 第三神山ビル」のようである。東急渋谷駅から明治通を並木橋方面(南東)へ数百メートル。当時の写真ではとなりは三菱石油のスタンドだったが、最近は立派なビルが建ち一階のテナントはデイリーヤマザキ渋谷三丁目店。
お母さんの喫茶店に名前はなかったのだろうか?