
新村出『ちぎれ雲』(甲鳥書林、一九四二年九月二〇日、装幀=木下杢太郎)。これは『書影でたどる関西の出版100』(創元社、二〇一〇年)に掲載した写真である。表紙は多色木版画。昭和十七年の本だから、かなり贅沢だったにちがいない。

木下杢太郎は「本の装釘」(初出『文学』第十一巻第一号、一九四三年)に『ちぎれ雲』の図案ができるまでの手順などを書き残している。昭和十七年五月に小手鞠を、六月に枇杷を写生して更紗のような模様にデザインした。二枚の絵を新村に見せると、新村は枇杷を選んだ。ところがそのときはまだ著書のタイトルを聞いていなかった。タイトルも知らないまま図案をつくるというのは意外だが、新村の随筆集とだけ聞いて引き受けたのだろう。届いた本は『ちぎれ雲』。季題は秋である。《ちぎれ雲に枇杷の実を配したのは、心有る為草(しぐさ)とは謂へなかつた》と悔やんでいる。
木下杢太郎記念館が発行している第二十三回特別展の冊子を二種頂戴した。展示図録『木下杢太郎と表紙絵・さし絵』および『本の装釘 木下杢太郎』である。杢太郎は自著の他に谷崎潤一郎『青春物語』、小堀杏奴『回想』『晩年の父』、『日夏耿之介選集』などの装幀を手がけた。
『本の装釘 木下杢太郎』には「本の装釘」ともう一篇、雨宮庸蔵「江戸小紋への執着などー杢太郎追憶ー」(初出『木下杢太郎全集第二十三巻』月報二十四)も再録されている。中央公論社で『青春物語』を担当した編集者の雨宮が、装幀を依頼した杢太郎とともに江戸小紋を探して目ぼしい呉服屋をのぞいて廻ったことなどを回想している。結局はピッタリするものが見つからず、杢太郎が縞の模様を自ら描いて図案とした。なんと、その文中に佐野繁次郎が登場していた。
《私はほとほと疲れた。しかしピタリと気にいった色調や柄は見つからなかつた。私は寧ろホッとした。気にいったのがあって、その反物そのものを装釘に使うとなれば採算上の調整が困難であると思ったからだ。昭和七年横光利一の「寝園」のとき佐野繁次郎の案で竺仙の浴衣を装釘に使ったことがあるが、小紋となるとこの程度ではすまされまい。》
費用のことも言い出せないとは編集者としてどうかとも思うけれど、そういう時代だったのかもしれない。それにしても『寝園』の表紙が竺仙(
http://www.chikusen.co.jp/)の浴衣地だったという事実、よくぞ書き残してくれたと思う。『木下杢太郎と表紙絵・さし絵』には雨宮からの装幀依頼に対して杢太郎が返事をしたためた手紙も掲載されていて、たいへん興味深い資料となっている。ただもう少し費用をかけてカラー印刷でちゃんとしたものを作れば、さらによかったようにも思うが、いろいろ事情もあるのだろう。
伊豆伊東 木下杢太郎記念館
http://www.itospa.com/history_culture/kinoshita_m/index.html