
『柵』復刊第四号(詩画工房、一九八七年三月二〇日、表紙=勝田寛一)、第八号(詩画工房、一九八七年七月二〇日、表紙=田川勤次)を入手。発行人は志賀英夫。大阪府豊能郡能勢町が発行所である。桑島玄二、衣更着信が寄稿している。桑島は評論集『現代小説の十年』を詩画工房から刊行している(一九九〇年)。
第四号に石田三智雄「敬愛する足立巻一 その生立ちと業績」。石田は映画人のようだ。冒頭、高梨一男という詩人についてこう書かれていた。
《彼とは共に百田宗治の「椎の木」の同人であったし、昭和一桁時代に私の発行していた詩誌「闘鶏」の同人もしてくれていた数十年来の詩友である。彼が東京幡ヶ谷で、日輪書房という古書肆をやっていた時代、初版本に凝っていた私の書棚から、井伏鱒二や太宰治等の書籍を自転車に満載して運び去り、一冊二冊と買い戻しに行ったことも今は懐かしい。彼からは「羊腸詩集」を送って貰ったのが最後になってしまった》
以下、足立の業績を手際良くまとめていて参考になる。その巻一(けんいち)という印象的な名は漢詩人だった祖父の清三(敬亭)が『論語』巻の一を二六新報の秋山定輔に講じていたときにとっさに思いついて命名したという。足立にはその祖父のことを書いた『虹滅記』という名作がある。久し振りに取り出してみると、巻を措くあたわない面白さだ……。
第八号には藤村青一・談として「爪から血をしたたらせた大西鵜之介」が掲載されている。大西については高橋輝次さんが「古書往来」に書いておられるが、大阪の瓦屋町で明治三十六年に生れ、昭和二十三年に藤村雅光・青一兄弟、小野十三郎、安西冬衛らと『詩文化』を発行した。藤村兄弟は紙製品会社を経営し、大西はその社員だった。昭和二十八年七月十三日歿。詩集に『刺繍ある黒檀』(関西詩人倶楽部、一九二六年一一月)、『亜鉛風景』(高踏詩園、一九二七年二月一〇日)があるという。
なお『柵』は一九八六年一二月創刊、今も刊行され続けており、カナブンには揃っているらしい。