金沢文圃閣より『文献継承』第17号および『年ふりた……』13号を頂戴した。前者には鈴木宏宗氏による図書館記号(図書館の地図記号、くにがまえの中にカタカナのトを書き込んだ文字)についての考察、および書物蔵氏による「大日本帝国にBUNSOKU!(あったかも知れない大東亜図書館学3)」などが掲載されており、いつもながら深過ぎる話に呆然とするばかり。後者は古書目録。こちらも独特のもの。『象』18号(一九九四年)亀山巌の小宇宙、小沢信男、多田道太郎、は気になるな。
また出版流通に関連する重要資料の復刻にも邁進しておられる。同封されていた文圃文献類従19『出版書籍商人物事典』のパンフレットには気になる出版書籍商がいくつも挙っている。たとえば生活社。サンプルとして引用されている文章をかいつまんで紹介する。
《生活社 鉄村大二
昭和16年日本出版文化協会が生まれたとき氏は評議委員に推された。氏の名が業界の表面に出たのは此頃からで、当時の新人だったのである。広島県の人で早大の英文科を出て興文社の編集部に入った。ついで東京社に転じて婦人画報の編集に携わった。東京社は故島田義三が創立したもので婦人画報や少女画報を発行し、当時の成功者と謳われた。婦人画報もそもそも始まりは国田独歩が創立したものだそうだが、それを島田氏が引受けて立派な雑誌に育て上げた。》
《島田氏が死んで後継者がなく、引受人を捜すうちに選ばれたのが柳沼澤介氏であった。柳沼氏は興文社にいて小学生全集でアルスの北原鉄雄氏と大激戦を演じた後、独立して芝田村町で出版業武侠社を経営していたが、実は余り楽でなかった。所へ此話が持込まれたが》
《鉄村氏はこの柳沼氏に引かれて東京社入をしたのである。》
英文科卒は御遺族の証言と異なるとはいえ、これはメチャクチャ貴重な記録である。著者は帆刈芳之助(ほかり・よしのすけ、1883-1963)。新潟県出身、活版職工から新聞記者になり、さらに書籍小売店経営、そして越山堂を創業し出版に乗出した。出版を廃業した後に出版業界紙の世界に身を投じたという。
金沢文圃閣既刊本一覧
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ちなみに婦人画報と島田の関係については、黒岩比佐子『編集者国木田独歩の時代』(角川選書、二〇〇七年一二月一〇日)によればこうなっている。
《独歩社から『婦人画報』と『少年少女智識画報』を引き継いだ東京社についても述べておこう。窪田空穂によれば》《独歩社の売捌係だった島田義三が、『婦人画報』と『少年少女智識画報』だけはまだ売れると考えて、自分と組んでこの二誌を発行する編集者を社内で物色していた。》
そして鷹見思水に声をかけ、さらに思水を独歩社に紹介した空穂を引き込もうとした。空穂は気乗りはしなかったが、思水を助けるつもりで参加した。
《東京社は島田義三、鷹見思水、窪田空穂の三人の共同事業として成立し、会社は神田駿河台にある島田の家に置かれた。》
しかし当初の経営はうまく行かなかった。空穂がひねり出した一か八かの企画、東洋婦人画報増刊『皇族画報』が大当たりを取った。これでようやく東京社は窮地を脱したという。ほんと、出版はバクチである。