清荒神から三宮まで出てギャラリー島田の「永田耕衣書画展」をのぞく。葉書くらいの小さいものから屏風までおよそ五十点展示。耕衣の融通無碍というか、どうとでもなれという感じの書にはちょっと魅かれる。「桃花窟」という額が印象に残る。印は「田荷軒」。神戸市須磨区にあった自宅書斎をこう呼んだ。
《海沿いの国道から、緩やかな坂道を上がった高台の家。二階に構えた書斎を、耕衣は「田荷)軒(でんかけん)」と称した。本が棚をびっしり埋め、自筆の書画や石仏、鉢で枯れて「ミイラ」になったナス、趣味で集めたそば猪口(ちょこ)など、お気に入りの物であふれるその空間は、訪れる人々を魅了した。》(神戸新聞、2008年10月4日)
田荷軒は阪神淡路大震災で倒壊し、耕衣は奇跡的に救出された。そのおよそ一年半後に死去。戒名は生前に自ら付けた「田荷軒夢葱耕衣居士」とのこと。「荷」は「はす」だから「田荷」は「泥田の蓮」という意味だろうか? ちなみに永井壯吉は帝国大学第二病院に入院中に恋心を寄せた看護婦の名「お蓮」に因み「荷風」の雅号を用いたそうである。

こちらは永田耕衣とは直接関係ないが、展示の雰囲気作りに配されていた小さな木の彫像(高さ15センチくらい)。こういうの、好きだ。
ギャラリー島田
http://www.gallery-shimada.com/index.html