『日支名家印譜』(平凡社、一九三四年七月一〇日)の「山紫水明處印譜」より。四十顆の印影が収録されている。先にちょっと触れた早稲田大学所蔵の山陽印譜は実押で五十顆のはずだから貴重このうえないだろうが、手軽に見られるということではこれも便利。
山紫水明處は頼山陽の書斎。現在公開されてはいるものの、見学は往復はがきで申し込むようだ。
『太陽』225号(平凡社、一九八一年一〇月一二日)「書斎の愉しみ」特集を見ると奈良本辰也が次のように書いている。下の写真はそこに挿入されているもの。
《四帖半といえば、頼山陽の山紫水明処が同じくその広さだった。これは、京都の丸太町橋の西詰めを少しくのぼったところにあり、東山を前面にのぞむ鴨川の河畔にあった。》
《山紫水明処は、僅か二間ばかりの小さな草庵だったが、天下の文人が集ってくる所だった。田能村竹田・浦上春琴・篠崎小竹・塩屋宕陰・小石玄瑞・梁川星巌・同紅蘭・江馬細江[ママ]・大窪詩仏・古賀穀堂等々、枚挙にいとまがない。
そこで山陽は伊丹の酒を出し、あるいは煎茶を煮て、これを遇した。あたりに夕闇がせまると、軒先きに吊した燈籠に灯が点ぜられ、それが辺りの風景にとけ込んで、いよいよ興を増すのである》

森鴎外「北條霞亭」のなかに霞亭が鴨川辺にあった頼山陽の居所に二夜泊まっている、ということを二〇〇七年の二月にこのブログに書いていた。
http://sumus.exblog.jp/6543338
山陽の詩は、まずは手近な入矢義高『日本文人詩選』(中公文庫、一九九二年)からと思って読み始めた(昔読んでいるはずだがすっかり忘れている)。
夜帰
会散三更帰到家
月揺窻竹影横斜
欲眠旋復披衣起
呼醒山妻対煮茶
真夜中に帰って来て眠ろうと思ったが、月がきれいなので、妻をたたき起こし、向かい合って茶を煮た。山陽は文化十二年には二条両替町、文政初めには木屋町あたり、同五年三本木(烏丸丸太町?)、そして七年に水西荘へと転々したようだ(『頼山陽遺墨展覧会目録』略年譜による)。この情景はどこの家だろうか(?)。とにかく、まったく身勝手な内容ながら(山陽の人生そのものが身勝手なのだが)、けっこう好きな作である。