『立原道造全集5』(筑摩書房、二〇一〇年九月三〇日、装幀=中島かほる)、書簡・座談会・年譜。これにより全五巻が完結。刊行開始が二〇〇六年一一月。ほぼ四年を要した。新編全集としては建築図面や絵画の類いを集めた第四卷が目玉であろう。できれば別巻として書誌と総索引を編んで欲しかった(同じく筑摩の『梶井基次郎全集』は完璧に近い別巻があるし、『新編中原中也全集』別巻も凄いらしい、立ち読みしかしてないけど)。『国文学解釈と鑑賞別冊立原道造』(至文堂、二〇〇一年五月五日)にすでに書誌が発表されているので、必要なしという判断なのだろうか。第五巻の値段からしてその困難は想像されるが……。
古本屋について触れた書簡もいくつか収録されている。一九三三年は立原十九歳。
《例によつて、古本屋を歩いてます。この頃、見つけた珍しいものは本ではなくて、東京の市電の切符です。明治三十九年頃から地震の少し前までのを、古風な手帳に貼つてあります。》(一九三三・九、米田統太郎宛)
《関西の古本屋の目録を見たら、手頃な値でよい本があるので、きつと貴兄などもそんなところで、面白い本を手に入れられるのだらうと羨しく思ひました。東京の方面は相変わらずです。
この間、「アラゝギ」の古いのがあつたけれど、すぐなくなつてしまひました。大正二年位のでした。》(同上)
《ミンよ。 昨日 野球 を 見た かへり に 青山の古本屋を歩いて ゐたら 本城君(Honzyô君、どんな字か忘れた!)と会ひました。一軒 の 古本屋で、そこには ランボオ と ボオドレエル の 本がありました。それからHonz.君は ランボオ めいた 顔 をして、そして 僕は ボオドレエル 風 な 言葉 を 呟いて、ふたりで 青山学院 の 西洋のにほひのする構内を歩いた のも あの本屋 の せゐでせう。ランボオ の 詩集は 金が足りなくて 買へなかつた。みれん さうに 今 も一度 あの 本 の形や 表紙 を 思ひ出しました。》(一九三四・五・一三、杉浦明平宛)
杉浦明平にはたびたび古書の話を書き送っている。古本好きとしてはこの「ランボオ」がどの版なのか、気になるところ。邦訳だとすれば、小林秀雄訳『地獄の季節』(白水社、一九三〇年、いわずと知れた佐野繁次郎装幀)か小林秀雄訳『酩酊船』(白水社、一九三一年)、小林秀雄訳『詩集』(江川書房、一九三三年)、中原中也訳『ランボオ詩集 : 学校時代の詩』(三笠書房、一九三三年)のいずれかだろうか? ちなみに「故立原道造蔵書陳列会案内」(本巻所収)には中原中也訳『ランボオ詩集』(野田書房、一九三七年)が挙げられている。ボオドレエルはたくさん飜訳があって特定しようもない。
なお、上述米田統太郎宛の手紙には
《「読売」では、木見八段と溝呂木先生の手合せが一勝一敗となつて、今決勝です。》
とも書かれている。読売新聞の将棋記事が人気を博していた様子が分かる。立原の父は溝呂木七段に習ったことがあるという。木見八段は大阪毎日新聞所属のスター棋士で、これはたぶん東西対抗戦ではないかと思う。木見門下には升田幸三、大山康晴という戦後の大名人がいた。