
展覧会に行くと必ず、展示品のなかの「どの作品でも差上げます」と言われたら、どれをもらうかということを考える(あるいは、どれでも買えるとすれば、と考えてもいいかもしれない。しかし「もらう」のと「買う」のでは少しチョイスが異なるような気もする)。
で、国際のマン・レイ展。ジュリエット・グレコの肖像写真も良かったし、マン・レイが使っていた絵筆とか杖なんかもかなり欲しくなるオブジェだったのだが、このビー玉(?)を詰めた壜(蓋にペイントして「MAN RAY 1965」の文字テープが貼ってある)が目に焼き付いて離れないので、これに決めた。といってもどうなるわけでもないけど。展覧会の楽しみ方のひとつということです。
石のビー玉については以前書いたことがある。
http://sumus.exblog.jp/8324943
ブルジャッド『マン・レイとの対話』(松田憲次郎+平出和子訳、銀紙書房|水声社、一九九五年七月三〇日、装幀=中山銀士)をひろい読みする。マン・レイがパリに来たのは一九二一年、第一次大戦が終わった後。そしてドイツ軍のパリ侵攻直前、アメリカに戻った。その約二十年間が最盛期だったと言えるようだ。
モンパルナスではヘンリー・ミラーも近くに住んでいたようだが(むろん藤田嗣治とも重なっている)、ミラーはマン・レイを「面白いやつじゃない」と聞かされて近づかなかった。ところがカリフォルニへ落ち着いたとき、ある晩、彼らはパーティで出会って意気投合したらしい。
《で、彼とは親友となり、チェスをしたりしたものだーーチェスが付き合うきっかけだった、彼も大好きだったからねーー、終わると、少しおしゃべりした。彼は私の家によく来るようになった。そして、私はカリフォルニア高地の田舎に住むようになると、車で彼の家に立ち寄ったり、長居したりした。》
《フランスで二十年間暮らしていた私にとって、あらゆるアメリカ人がーー戦前、パリに八年か十年いたミラーでさえーーいくらか単純で、子供っぽく思えた。
この時期、ミラーは気晴らしに絵をすこし描いていた。ちょっとプリミティブな感じの……子供が描くような水彩画を。絵を描くのが大好きで、ものを書く時には得られないような、一種の安らぎを味わっていた。》
Henry Miller, gallery of artwork
http://www.henrymiller.info/gallery/henrymiller.php西海岸でのマン・レイの仕事はやはりパリ時代ほど輝いていないような気がする。マン・レイ・イスト氏いわく「佐伯祐三が日本でパリのような絵が描けないのと同じじゃないかな」と。まったく同感である。