長谷川三郎『理論と鑑賞 現代美術』(創元社、一九五二年)。定価のことを言われるとグサッとくるが、高くてもお買い得な『関西の出版100』(創元社、近刊)に熊田司さんがこの本を取り上げてこう書いておられる。もちろん上の写真は小生架蔵のもので、掲載されている熊田さん所蔵の一冊はピカピカである。
《少年時代を神戸、芦屋に過ごし、信濃橋洋画研究所で小出楢重に学んだ長谷川三郎(一九〇六〜五七)は、東京帝国大学の美学美術史に進み、卒業論文「雪舟研究」で学業を終えた後、米欧に三年間の遊学をするなど、理論と実践の両面で幅広い活動を展開した。昭和十二年に自由美術協会を創立して抽象絵画作品を発表する一方、『アブストラクトアート』を著し、この時期の前衛美術運動の先駆的役割を果たすが、脂ののった活動は戦時下体制によって自由を奪われる。疎開地の滋賀県長浜で終戦を迎え、地域の啓蒙活動に力を注いだ長谷川は、やがて本格的な創作に復帰するとともに、モダンアートをやさしく説く啓蒙書をたてつづけに出版した。その最後で最良の一冊が本書ではないかと思う。》
《本書を書いた頃から、長谷川はアメリカ巡回展に作品を送ることが多く、後には自身が渡米して東西現代美術の橋渡しとなったが、移住に踏み切って間もない昭和三十二年、この無二のパイオニア精神はサンフランシスコで半世紀の生涯を終えた。》
本書に掲載されている「パリにおけるカンヂンスキーのアトリエ」。カンディンスキーがロシア革命に見切りをつけてドイツに戻ったのが一九二一年、翌年からナチによって閉鎖される三三年までバウハウスで教鞭を執り、パリへ移住。三九年にフランスの国籍を取得、四四年にヌイイ・シュル・セーヌ(Neuilly-sur-Seine)で歿している(ウィキ)。
歿後のアトリエだろうか。絵具が整然と並べられた棚はいかにもそれらしい。ただ、パレットが汚いのは案外だった。
『書影でたどる関西の出版100』創元社より十月初旬刊行!
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弥生美術館・竹久夢二美術館で現在「開館20周年記念展第3弾 小さな紙の美 絵封筒の世界展 夢二・かいちを中心に、名もなき絵師の図案まで」(~9/26)が開催されている。友の会会報が届いたの見ていると、そこで夢二の絵封筒を製作していた「つくし屋」のことが書かれていた。
つくし屋主人こと秋田伊三郎(握月、1886-1938)は俳人として知られる。京の人、京都商業時代より安田木母に師事し、後、松瀬青々門に入り、『宝船』『倦鳥』『雁來紅』同人・選者。俳誌『母多比』(母多比会、創刊号一九二一年五月一七日)を刊行した。茶道、音曲にも通じた。遺作句集として秋田浩夫編『仏手柑 : 握月句抄』(秋田浩夫、一九二九年)がある。
「つくしや」は大正初め頃、新京極四条上ル錦天神前に開業したようだ。それ以前は同じ場所で「鳥新」という魚鳥料理屋をやっていたらしい。「つくしや」では舶来雑貨を扱い、新美術工芸品、日本画、洋画、陶器、彫刻、文房具なども販売した。夢二の他、冨田渓仙、小川千甕、元井三門里らがデザインした封筒や便箋も取扱った。昭和初年頃に店を閉じて悠々自適の晩年を過したということである。
弥生美術館・竹久夢二美術館
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/