
シンポジウムはたいへん盛況だった。講義室満員。五十人以上は入ったように思う。けっこう凄い顔ぶれだった。季村さんが挨拶と展示とシンポジウムのきっかけについて、近著についての思いなど。戦前にやはり弾圧された同人雑誌『リアン』の最年少メンバーだった西山克太郎について。
内堀氏は世田谷文学館で開催中の北園克衛展について、そして北園の『白のアルバム』の図形詩について。そして帷子耀(かたびら・あき)を最近になって知ったこと。帷子耀は一九六八年に『現代詩手帖』の投稿欄でデビュー、中学三年だった。以後数年にわたって異色作(図形的な詩を含む)を次々に発表しこつ然と消えた。ランボーと同じように実業の世界に身を投じ山梨でパチンコ業を手広くやっていた(いる?)という。これについては四方田犬彦さんが『日本のマラーノ文学』(人文書院、二〇〇七年)にインタビューを踏まえて一章を割いている。ちなみに四方田氏によれば帷子耀のペンネームは「片開き」からとったとか。
扉野氏はモダニズム詩年譜つくりが面白すぎたことについて。そして『きりん』の話から足立巻一らの若き日の同人誌『牙』について。プロジェクターを使用しながら(本を台の上に置くとスクリーンに映し出されるタイプ)。『牙』はハチメチャすごい。
間村さんは『現代詩手帖』時代の帷子耀の活躍を知っており、最近、何かの会で帷子氏に遭って『たまや』に原稿を頼んだこと。そのとき名刺をもらった。ごくふつうのビジネス名刺で本名もへんてつのないものだった。「今日、もってきて、ドギモぬいたろ、思たんやけど、ホテルに忘れてきてしもた(笑)」。そして北園克衛の本、自作の装幀本などの紹介と活版印刷礼賛。短歌や俳句は活版で印刷すると二割ほどよく見える(!)そうだ。
つぎに季村さんの計らいで小生が『書影でたどる関西の出版100』の宣伝をさせてもらった。本文をプロジェクターでいくつか見てもらったら、終了後そのなかのある頁を見せて欲しいという方がこられて、メモして帰られた。買って帰ってほしかったが、まあ、お役にたてたのなら宜しとしよう。
最後に季村さんの求め応じて内堀さんが『リアン』と西山克太郎氏についてやや詳しく語った。官憲の目に触れないように、発行したら直ちに必死で隠した。まるで隠匿するために作っていた雑誌だと氏は言う。ところがどこかから古本屋に流れていもずる式につかまった。それがリアン事件。晩年の西山氏は石神井書林へ毎月のように来られていたそうだ。兄の世代のモダニズムを引き受けた西山氏(戦後『リアン』を覆刻するなどの啓蒙につとめた)と、同じように兄の世代の全共闘運動のなかで一瞬の活躍を見せた帷子との対比が興味を引く。
以下、雑誌の展示の様子。めったに見られないものばかり。展示は16日まで。
*
2010年10月15日付朝日新聞
11月3日のシンポジウムに内堀弘、間村俊一が来神!