三重県立美術館で開催されている「橋本平八と北園克衛展」図録(三重県立美術館協力会+世田谷美術館、二〇一〇年、デザイン=梯耕治)が届いた。A4判で300頁以上あり、右開きテキスト縦書きが兄の橋本平八、左開きテキスト横書きが北園克衛というふうにレイアウトされ、奥付は真ん中にある。

橋本平八はこれまでも実物をいくつか見てきたような気がするのだが、はっきり、どこで何をという印象が薄い。竹橋の近代美術館にいくつか。東京芸大がかなり所蔵している。図録で見る限り、いいセンスの作品もある一方、全体的にはどうも形の消化の仕方が物足りない。時代的な流れもあるだろう。おそらくもっと長生きしていれば(享年三十八)、ブランクーシのような方向へ進んだことは「石に就いて」(一九二八)が証明しているように思う。パリへ行く機会があれば……驚くような開花をしたかもしれない。なかではこの「或る日の少女」(一九三四)が好きだ。
北園克衛は平八より五歳年少。戦前のモダニストとしての仕事が、戦争のために、ほぼ兄の享年と同じころに終わっている。昭和十五年には特高に取調べられ、雑誌『VOU』の題名を『新技術』に改めた。この時期がいちばん苦しかったのかもしれないし、さして苦しくもなかったのかもしれない。そういうクールさは結局は自分を信じるところ生まれるのだろうと思う。先日紹介した金澤氏の論考によれば、敗戦直後に発表された昂揚気味の詩がいちばんまずいということだから、やはり抑圧を感じていたようだ。
図録は美術館サイトで手順を確認して美術館協力会に現金書留で注文した。対応は素早かったが、梱包がやや雑だった。