海外の書店の写真ということで思い出したのがこちら。上海呉淞路(日本人街)の至誠堂書店。
出光衛が閔行路八十六号で開業、その後、呉淞路の海寧路との十字口の南西角に移った。呉淞路は当時上海最大の日本人街。明治時代開業の土橋号や松本号(酒類食品店)、岩崎呉服店、玉屋呉服店、稲垣呉服店、日本堂書店、至誠堂書店、文房洋行、石橋洋服店、晩香堂薬房、日昇堂大薬房、天寿堂薬房、長沢写真館、池田屋、松川屋、浜田商店などの老舗が軒を連ねていた。他にも金風社、芦沢印刷(印刷)、井上、吉坂の写真館、千代洋行(写真機)、豊陽館、萬歳館、常磐舎(旅館)、六三亭、月廼家、新六三(料亭)、重松薬房、済生堂(薬舗)、里見医院、土橋号(酒店)、八百新(八百屋)、松風亭(菓子店)、樋口通関事務所などがあった。(主に「上海の北部虹口」による)
長沢写真館発行。上の葉書では中央奥に「ナガサワ」ののぼりが下がっている。至誠堂の刊行物は下記のものがヒット。もっとたくさんあるようだ。
・鴛鴦譜 星野蘇山 至誠堂 1924.7
・上海市街地図 至誠堂 1924
・上海一覧 至誠堂編集部 1924
・上海地図 至誠堂 1925年7月3日
・江南一覧 山崎九市 至誠堂新聞舗 1931 2版
・大上海市街地図 上海至誠堂書店 1941
同じシリーズのもう一枚。絵葉書の説明では「ガーデンブリツチ畔ブロードウエイビルチング」。これは現在も営業しているホテル「
ブロードウェイマンション」の建設当初の姿であろう。
《建設が始まったのは1930年のことであり、1934年10月に完成した。かかった費用はメキシコドルで1000万ドルで、当時米ドルでおよそ340万ドルであった。このマンションは「もともとは1934年にイギリスの高級住宅ホテルとして建設された」という。このマンションは Ye Guang 地所不動産会社によって、セファルディ系ユダヤ人のヴィクター・サッスーン卿の支配する上海地所開発会社のために建築された。彼は他にもキャセイマンションや他のフランス租界に立てられたアパートを所持していた。他の二つの上海の高楼(パレスホテル、サッスーンハウス)のほか、これらの摩天楼はすべてバグダッド系ユダヤ人の所有であった。》(ウィキ)
ということは絵葉書も昭和九年ごろのものか。
さらにもう一枚。上海「黄浦江の鳥瞰」。手前の公園が「バンド遊園」のようだからブロードウエイビルチング(ブロードウェイマンション)の上階から撮影した眺望にちがいない。