斎藤秀三郎『SHORTER MIDDLE-SCHOOL LESSONS No.2 シヨーター 一二三四五共用』(興文社、東京市日本橋区馬喰町二丁目一番地、一九一一年三月一〇日訂正再版発行)。挿絵が木口木版(印刷は活版)で、明治四十四年ともなると日本の風俗も多く取り入れられている。
書店兼文具店。左側のショーウィンドウは画材。先日の中西屋を連想させる。次頁の練習問題(和文英訳)にこんなのがあった。
(13)古本の御払ひは御座いませんか
(books to sell)
(14)有る
答えはないので自分で考えてください。
写真では見難いが、この挿絵の門柱に「正則分校」という看板が掲げられている。この正則は「正則英語学校」であろう。本書の著者・斎藤秀三郎が一八九六年(明治二十九)十月神田錦町に創設した。分校は明治三十九年に小川町分校、四十年に芝分校が開設されている。大正二年にはどちらも廃校となったが、芝分校は三田英語学校と改称して独立した(「正則学園の歩み」より)。
英文のなかに「昨年九月に開校した」とあるが、イギリス風の建物、敷地の広さからして理想の校庭を描いたということも考えられる(?)。
斎藤は仙台藩士斎藤永頼の長男。五歳で辛未館(仙台藩の英学校)に入り八歳で宮城英語学校の米国人教師に学び、十四歳で工部大学校(現在の東京大学工学部)に入学したという秀才。十八歳で退学して仙台で英語塾を開設した。その後、二高、岐阜中、長崎鎮西学院、名古屋一中を経て、一八九三年一高教授。一九〇四年には東京帝国大学文科大学講師となった。優秀すぎて遠回りをしたようにも思える経歴である。
ちなみに英語学者の神田乃武らが一八八九年(明治二十二)に創設したのも「正則予備校」(現在の正則高等学校)と「正則」が付いていた。「正則」はレギュラーの訳(?)