荻原魚雷『活字と自活』(本の雑誌社、二〇一〇年七月一五日、カバーイラストレーション=山川直人、ブックデザイン=中嶋大介)。
魚雷節に聞き惚れる、いや読み惚れる。『sumus』には三号から書いてくれているが(三号は尾崎一雄について)、最近富みに円熟味を増したような気がするものの、基本、まったく変っていない。同人のなかでは文学にいちばん近い場所にいると最初から思っていた。文学っていうのは結局「自分」だろう。自分しかない。魚雷氏の文章を読むとそう思う。どんなことを書いても(といっても何でも書くわけじゃない)それが魚雷氏の生き方になっている。
「小説を書け」と最初に会ったときから言い続けている。文学にいちばん近い場所じゃなくて文学そのものになってもいいんじゃないか。そうなってしかるべきだと変らず思う。いや、『活字と自活』こそが魚雷文学です、と言われれば、それはそれで納得はしてしまうし、それぐらい面白くもあり巧みでもあるのだが……。
例えば、ケーブルテレビの営業マンに部屋に上がり込まれてこう言われる。
《「レコード、たくさんありますね。でもあれでしょ。レコードって裏返したりするのめんどうでしょ? うちに加入したら、二十四時間、音楽チャンネルを楽しむことができますよ」》
ところがこの切り返しがすばらしい。
《わたしはレコードをA面からB面に裏返すときがいちばん楽しい瞬間だと思っているさびしい男だ。ちなみにそのとき部屋はたいてい真っ暗にしている。
暗闇の中だと、耳の感度がよくなる。ドラムでかきけされていたサイドギター、カスタネットやタンバリン、ハナドクラップの音などがよく聞こえる。耳だけでなく、肌も音をかんじる。人間は奥が深い。》
しかしじつは魚雷氏の心はちょっと揺らいでいる。そこに営業マンがこう言い放つ。
《これからは最先端の情報をどんどん吸収していかないと、時代にとりのこされますよ」
わずか三十分くらいの間に、わたしの人生は否定されまくりだ。実をいうと、ちょっと心がゆらいでいたのだが、この一言でケーブルに加入する気が失せた。》
三十分も話すとそうなるよ。でも要はA面からB面に裏返すときのその「間」こそが文学なんじゃないか。それが分かっている希有な書き手だろう。
ブックデザインはアホアホ中嶋氏。ジャケットのチープな紙がいい。イラストにぴったりのを選んでいる。これで決まった。挿絵(下坂昇)もいいし、写真(藤井豊)もいいが、写真のレイアウトはこれはどうかなあ、もったいない。