『明治文化』第五卷第七号(明治文化研究会、一九二九年七月一日)。編輯兼発行人=吉野作造。《本会は従来三省堂に託して『明治文化研究』を発行せしめて居たが本号より日本評論社に其発行を托することにした》と巻頭言にあるが、奥付では発行所は日本評論社内明治文化研究会、発売所が日本評論社となっている。また《今度都合により「明治文化全集」の月報を廃し、その代り本誌を右全集の読者諸君に無代で差上げるころにいたしました》とも。
内容はかなり雑多なもので、面白いといえば面白い。神代種亮「明治新語新説雑考(一)」は、演説、小説稗史、モデル、火葬と土葬、ハヤシ・ライス、交通、会計、力作、を取り上げて、初期の用例を探っている。たとえば美術上の用語から文学上の用語へ転用された「モデル」。三宅青軒の時評(『明治小説文庫』第一編、博文館、明治三十年十二月)にこうあるという。
《緑雨氏一葉女史の小説に就て語りていふ。一葉女史は、其著作の小説に於て、大抵は、否な寧ろ総て『もでる』を捉へて書きしなり、『たけくらべ』に於ける多くの小児は、夫れぞれに其小児あり。》
明治四十年代の自然主義勃興以前に「モデル」という言葉が使われていたという説である。もうひとつ面白いのは花園歌子「最近の収穫二三」。花園歌子は正岡容の妻で「パンタライ社」の人気女優・ダンサー。ダンス芸者として有名だった。永井荷風によれば《酒席にて裸体となり、サロメのダンスなど称えるものを踊る》ということだ。その花園歌子は女性文化資料の蒐集に執念を燃やしていた。
《お座敷の稼ぎは素より、僅かばかりの原稿料まで注ぎ込んで、買ひ集めても買ひ集めても尽きると云ふ事のない資料である。
寝不足の、いつも霧の掛つた様にドンヨリとした頭を抱へながら、街から街へ……成るたけ展覧会などに関係のない、うぶい品物の有りさうな場末の店を択んで、一軒々々親の敵でも探すやうに、目をギヨロつかせて歩き廻る。日が暮れる。躍る。寝る。起きる。再び果てしなき流浪の旅へーー。これが私の近頃の日課である。》
《暇がないのでロクに整理もできぬ、埃だらけになつた本の一と山。それに赤絵の多い錦絵の一堆積。ーーこれが幾年間、骨身を削つて稼いだ『血』と『汗』との結晶かと思ふと、覚えず涙さんさんたるを禁じ得ない。》
《高い金を出して名の通つた物を買ひ集めるより、今まで人の目に触れなかつた物や、目には触れてゐても、その優れた資料価値の発見されなかつた物を、『ゴミ』の中から拾ひ出して之を世上に紹介する方が、一層有意義であり、また学徒の本分にも適つてゐる。》
とアッパレな古本道宣言があって最近の収穫二三の紹介が続くがそれは省略。黒岩比佐子さんの大先輩がここにいた(!)