詩と詩論『知覚』五号(知覚社、一九五四年二月一五日)。編集人=酒匂直哉、発行人=宮田千秋、発行所=広島県賀茂郡川尻町、印刷人=川崎弘。
広島の詩誌ということで某目録から註文してみた。政田岑生に関連がありそうだと思ったのだ。残念ながら直接には何もなかったが、同人である荏原肆夫は
『絶望と知的創意』(湯川書房、一九七三年、装幀=政田岑生)の著者だった。
巻末に一九五三年の十一月、呉市の各所で「現代代表詩人作品展」「全国詩誌展と即売会」「現代詩講演会」「詩の鑑賞と座談会」「英米詩人作品と書簡展」「知覚同人作品とデッサン展」などを開催したという報告が載っている。作品展では日本未来派の池田克己(一九五三年歿)追悼展示も行なわれた。
『知覚』はカナブンと近代文学館に三号(一九五三年六月)が、後者には『囲繞地』十号(知覚社、一九五九年一二月)も所蔵されている。なおも検索すると広島の詩誌『火皿』一一七号(火皿詩話会、二〇〇八年)に発行人だった宮田千秋が「詩と詩論誌『知覚』グループの足跡」という文章を寄せているらしい。
この号の巻頭は谷川俊太郎の「空」。谷川は一九五二年に
処女詩集『二十億光年の孤独』(東京創元社)を翌年『六十二のソネット』(東京創元社)を刊行して活躍を始めていた。二十一歳。
空
神の化石は道に敷かれ
その上を疲れた人人は歩いた
死んだ兵達が残酷に朝を始める 雪の中に
夜 空は怖れられた
魂の色をしてそれは開いていた
限りなく
骨色の空に涙は涸れ、温い腕に汗は溢れると真昼の人人は信じた。彼らは去つてしまつた。夜を銃に填めて。遺書もない淡白な勇気が簡素な墓を造る。しかし妻や子が五十年たつてから会いにくると急に太陽の匂いがする。それが星の心だと解るともう悔いはつきないのではないだろうか。彼等が正しかつた故になおーー
摩のように[改頁]
小さな時が永遠を傷つけた
死なねばならない
疲れた人人は小鳥のように呟いた
祈りや子供や食卓と一諸[ママ]に
そうして新聞を読んだ 毎朝
爆弾のおちる前の話も爆弾のおちた後の話もよく似ていた。ヘンリイよ陳よ死者たちよ、あの怖れていた空の下でーーしかし小さな幸福は大きな不幸の中で安らかに住むことが出来るし、昼、空は愛される。骨色をしながらもそれは僕等の中で溢れるばかりに閉じている。ヘンリイよ陳よ生者たちよ死の前にこそすべてはあると云う者たちよ。そしてしかしーー
どんな想いをもどんな行いをも押し流して
墓は次々流れてゆき
何も感じない幸福に向つて
疲れた人人は歩いた
正しい空の下を