『彷書月刊』二〇一〇年六月号。特集・豆本型録。豆本世界の広がりが分かり、またちょっと作ってみたくなる実践手順が掲載されているのが有り難い。
身辺ガタガタ忙しく届いてからそのままになっていたけど、今、読み出すと連載はどれも面白い。この雑誌がもうすぐ終わるというのはほんとに惜しいことだ。
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『日本古書通信』2010年5月号もひもとく。こちらもディープな記事が勢揃い。「鈴木光さん古書収集を語る」、「反町茂雄氏の思い出と古書販売」など面白く読む。
なかでも膝を打ったのが青木正美「斎藤茂吉異聞(12)」である。茂吉の留学中の妻輝子の浮気について茂吉が気をもんだ手紙について書かれている。なぜ膝を打ったかというと、今必要あって細馬宏通『絵はがきの時代』(青土社、二〇〇六年)を読んでいる最中で、ちょうどまさに「アルプスからの挨拶」に出て来るルツェルン湖のほとりにそびえるリギ山(この山は盛んに絵葉書に描かれたそうだ)に斎藤茂吉と輝子が大正十三年九月に訪れているという記述にぶちあたったからである。
細馬氏は斎藤茂吉「リギ山上での一夜」を引用しつつ、茂吉の感情の揺らぎ、夫妻の不和を指摘する。どうも様子がヘンなのだ。
《たとえば絵はがきを書き止めてサロンに戻った茂吉と輝子はと言うと「邪魔するものの無い気安さと落付きがあるに相違ないから、ふたりは突慳に相争ふやうなことはなかつた。けれども今此処っを領してゐる静寂はつひに二人に情熱の渦を起させることがない」と、なんとも微妙な調子なのである。》
一方、青木氏が紹介している輝子が大正十一年五月五日に外地の茂吉に送った手紙は東京中で大流行中のダンスはぜったいしませんと約束する内容だ。輝子はこのおよそ二年後、帰国を前にした茂吉とパリで合流してヨーロッパ各地を旅した。
《前田茂三郎によると、輝子が洋行して来てからも茂吉は、夫人を「家内」とも言わず、「カカア」「カカア」と言い、一種憎悪に近い語気で呼んだりしていたと言う。前田が訊くと茂吉は涙を流さんばかりに輝子のスキャンダルを訴えたとか。そして茂吉はすでに輝子はみごもっており、帰国して生まれた長女は「七ヶ月で生れた」と前田に手紙で報じたと言う(山上次郎『斎藤茂吉の生涯』)》
細馬氏が指摘する《奇妙に冷めた記述》の裏にはそういう事情があったようである。
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金沢文圃閣の『文献継承』16号も届いていた。これは書物蔵氏の「ホンモノの「日本図書館学会」と「日本図書館研究会」(あったかもしれない大東亜図書館学;1)」掲載号。京都で発足したこれまでほとんど知られていなかった団体だそうだ。リーダーが当時京大図書館におり、後に光念寺の住職になる三田全信という人物だったというのには興味を引かれる。坊主と古本は京都の定番か。
金沢文圃閣の新刊内容見本『性・風俗・軟派文献書誌解題—近代編』(全四巻)も同封されていたが、これは谷沢永一コレクションをベースにしたものらしい。エロ出版史まで目配りがきいているのはさすがと唸るしかない。