マラマッド『レンブラントの帽子』(小島信夫・浜本武雄・井上謙治訳、夏葉社、二〇一〇年五月二五日、装丁=和田誠)読了。「心にしみわたる短篇」という惹句が帯にあるが、ちょっとそういう感じとは違う。昔読んだ新潮文庫の短篇集の重い感覚が蘇った。
暗い、神経病的な不安が登場人物のベースにあって、本人たちは真剣なのだが、第三者からすればじつにコミカルなやり取りがくりかえされる。その喜劇的なふるまいの根っこに現実という悲劇が根ざしている。ただ、それがそのまま沈殿するのではなく、少なくとも『レンブラントの帽子』に収められた三編にはある意味の「救い」が提示されている。
この神経病的(医学的ではなく広津和郎ふうの用語として)な描写が思い起こさせたのは耕治人の作風だ。他人の気持ちをあれこれ考えすぎてだんだん壊れて行く主人公。隣家の窓がピシャリと閉まる、そのことだけで妄想がふくらんで小説がひとつできる。痴呆になった妻がもらした「そうかもしれない」の一言で小説が書ける。マラマッドにはもっとサービスがあるとは思うが、共通する神経の細さを感じた。
荒川洋治は解説でこう書いている。
《一九九五年の夏、長篇『もうひとつの生活』の舞台となった大学がある、
アメリカ・オレゴン州の町コーヴァリスを訪ねたことも、いまなつかしく思いだされる。「アシスタント」「魔法の樽」など、マラマッドの名作の多くは、この町で書かれた。ぼくはそこに行ってみたくなったのだ。》
訪ねた感想はない。どうだったのだろうか。
マラマッド(Bernard Malamud)は一九一四年ニューヨークのブルックリン生まれ。両親はロシアから移民してきたユダヤ人。マラマッドは大学を出たあとワシントンD. C. の商務省国勢調査局に勤めながら余暇に小説を書いていた。第二次大戦のホロコーストを知ってユダヤ人の存在に興味を持ち、ユダヤ人そのものをテーマに据えて作品を書くようになる。
一九四九年より、荒川さんが訪ねた
コーヴァリス(Corvallis)の
オレゴン州立大で教鞭を執り、引き続き一九六一年からは
ヴァーモントの
ベニントン・カレッジで創作を教えた。
Biography of Bernard Malamud
マラマッドを有名にしたのはその原作を映画化したロバート・レッドフォード主演「ナチュラル」(バリー・レビンソン、1984)のヒット。成功の理由が映画は原作と正反対のハッピー・エンディングだったためだという。それでも当時七十歳のマラマッドはやっとアメリカ作家の仲間入りを果たしたと喜んだそうだ。

これが初版(Farrar Straus Giroux, 1973)、以下その他の版。