
トポールが表紙を描いた『アラキリ(ハラキリ)』の一冊。その歴史については下記のサイトにおおよそ記されている。
http://www.caricaturesetcaricature.com/article-6334838.html風刺漫画家・作家のカヴァナ(François Cavanna)が一九五四年にジャン・ノヴィ(Jean Novi)の風刺雑誌『ゼロ Zéro』の第二号から参加し、その編集に腕をふるうようになった。『ゼロ』は流通に乗ったものではなく行商で売られていたが、そのセールスマンの一人ベルニエ(Georges Bernier)も参画し、ノヴィが五八年に急死すると、カヴァナとフレッド(Jean Fred)とベルニエ(別名 professeur Choron)が独立して、レゼー(Jean-Marc Reiser)やジェベ(Gébé)などの漫画家たちとともに新しい雑誌を始めた。それが月刊『アラキリ』である。一九六〇年九月に創刊。立ち売り雑誌から人気が出てすぐにキオスクで売られるようになり、一九六九年二月からは週刊『アラキリ・エブド』もスタートして八六年まで続いた。
《Si vous ne pouvez pas l'acheter, volez-le》
「買えなければ、盗んでください」という過激な広告をラジオで流したそうだ。おや、これはどこかで聞いたようなセリフ。
http://sumus.exblog.jp/11161968三島、澁澤、植草と『アラキリ』ファンがいたことはすでに書いてきたが、アメリカにもいたようである。トポールも『アラキリ』にはすぐに注目したらしい。第五号からコラボを始めている。
それにしてもハラキリは日本の名物(?)として早くから知られていたらしく、川上音二郎の回想(『川上音二郎貞奴漫遊記』)にも一九〇〇年のパリ万博でロイ・フラー座に呼ばれたときにハラキリをぜひやってくれと頼まれたというくだりがある。