

題 名=閑人独語
発 行=昭和25年4月30日再版[昭和24年10月30日初版]
著 者=辰野隆
発行者=谷長茂
印刷者=滝沢源一
発行所=洛陽書院
東京都千代田区神田神保町二ノ一六
装 幀=渡邊一夫
タテ=183mm
「漱石を殺した南京豆」は面白い。辰野隆の結婚披露宴に夏目漱石が列席したそうだ。妻の長姉が私淑していた関係で招待したという。辰野は一高生のときからのファンだったが、話したことはなかった。
《先生は、「やあ」と言つて向うへ行つた。先生が直接僕に向つて言つた言葉は、只この"やあ"だけだつた。短いけれども、その声が今も耳に残つてゐる》
漱石は胃潰瘍で苦しんでいた。ツグミの粕漬をもらって食べたために胃を悪くしていた。
《ところが披露宴の洋食の一番はじめに、小さな皿に南京豆[ルビ=ピーナツト]が出てゐたので、またそれを食べた。それが漱石が死ぬ原因となつた。その日の午前に先生は『明暗』の最後の頁を書いて、その夕に南京豆を食べたのだつた。》
「小林秀雄君」も面白い。
《卒業論文にランボオを書いたのだが、それがまちがひだらけの仏蘭西語で、しかも、内容は非常に良い。それで、当時の仏蘭西人の先生が小林君の頭脳に感心してゐた》
「当時の仏蘭西人の先生」とは誰だろう? アンベルクロードは淀野隆三日記にも出てくる。たしかスイス人だった。小林君は辰野先生の象徴詩関係の蔵書をほとんど読み尽くしてフケと髪の毛をはさんで返したそうだが、卒業してからも中原中也と二人してよく辰野家に遊びに来た。
《それから亦時々若い女性を連れて来た。それが亦極く当り前の女性であつた》
長谷川泰子(小林佐規子、中垣泰子)のことだろう。そして青山二郎も出てくる。
《骨董については小林君は一万人に一人のめきゝ[三字傍点]で青山(二郎)君は十万人に一人のめきゝだといふのだが、僕は骨董はわからない。どうも骨董というふものは美意識と独占欲と時代観との加はつた不思議な心境に左右される玩弄物だ》
《この前、創元社に行つた時、小林君の購つた三十号ばかりの梅原氏の富士山があつた。それを僕はちらりと見た。僕にはさういふ癖がある。煙草を吸つたりしながらちらりと見るのである。ちらりちらりゆつくり見るのである。小林君はちらりと見るのはいけないと言ふのである。》
《しかし僕は、ちらりと見るのがいちばん良い。ちらりちらりと重ねて見るのである。小林君は僕のような見方もあることを知らないから喰ひつく様に見ろといふ。》
喰ひつく様に見ろというわりには小林秀雄は本物よりも複製のゴッホに感心したりするのだから分からない。
《小林君は本を読むのでも、首尾一貫して読むのではなく、自分の頭脳を刺激したところを何度も繰り返して読むのではないかと思ふ。》
そう言われれば、小林秀雄も久しく読み返さないなあ。本はけっこう持っている、なにしろ青山二郎の装幀本が多いので。