題 名=まぼろし雑記
発 行=昭和26年10月30日二版[昭和25年8月25日初版]
著 者=渡邊一夫
発行者=河出孝雄
印刷者=井関好彦
発行所=河出書房
東京都千代田区神田小川町三ノ八
装 幀=
タテ=217mm
巻頭に「書斎の一隅から」というエッセイが収められている。そこに著者によって描かれた書斎のペン画が添えられているが、先日の内側の角が丸いL字の机はまだ使われていないようだ。渡辺は本郷四丁目(真砂町二十四番地)のその場所で生まれた。隣に二階建ての家があって《現在は新興成金かもしれぬ人の工場になり、製本か何かをやつてゐるらしく、時々ガタンガタンと音をたて、僕を悩ます。敗戦後は、一時男女共学の商業学校(?)になつてゐた》そうだ。そして

《僕の少年時代には、この建物は常磐舎といふ書生さんの寮であつた。この寮舎のことは、明治文学史の一頁か半頁ぐらゐを必ず占めるらしい。正岡子規や川上眉山なども、この寮にきてゐたといふ話を母から聞いたやうな記憶がある》
「常磐舎」となっているがこれは「常磐会」のようだ。坪内逍遥が明治十七年から二十年にかけてここに住んで寄宿舎「春廼舎」と名付け、学生達と寝食をともにしながら「小説神髄」や「当世書生気質」を執筆した。現在の本郷四丁目十の十三(旧・真砂町十八)。その後そこは旧・伊予松平藩の久松氏によって旧藩出身者のための寄宿舎「常磐会」となったそうで、舎監に内藤鳴雪がおり、正岡子規は明治二十一年から三年ほど入っていたらしい。
『江戸切絵図』で見ると「松平右京亮 中屋敷」となっている地所だろう。高崎藩主である。久松家は江戸時代には伊予松平家だったからそういう関係なのだろうか、よく分からないが。この辺は明治時代には右京山、右京ケ原という空き地だったようで、樋口一葉の日記にも見え、また富田常雄の小説『姿三四郎』で三四郎が檜垣源之助と戦うのが(黒沢映画!)右京ケ原という設定だそうである(検索してみたらそう出ていた。この小説も読んだ覚えがあるが、そこまで覚えていなかった)。
昨年、そのへんを少し散策したけれども、現在の住宅密集の様子からは考えられない。たぶん決闘はできないだろう。ただし、かくれんぼはできるかもしれない。高低差のある路地が入り組んでいるから。