題 名=哲学青年の手記
発 行=昭和22年10月15日
著 者=出隆
発行者=藤岡淳吉
印刷者=小坂孟/大日本印刷株式会社
発行所=株式会社彰考書院
装 幀=故六隅許六
タテ=18.5cm
出隆(いでたかし)は内田百間の六高、東京帝大の少し後輩になり、百鬼園の作品中にも登場する。この作品は津山中学から六高へ入り、中退して小学教員になるあたりまでを、当時の手記にもとづいて編集したもののようだ。六高時代の日記がとくに面白い。百鬼園も書いている俳句会、闇鍋なども出てくる。そんな学生生活とともに養父に学資を出してもらえず退学を迫られるという煩悶もリアルな表現で描かれている。寮生活の細部が読みどころ。
《食費寮費など出すと本代は僅かしかない。古本屋には、買ひ度い本が沢山ある。『文章世界』や『秀才文壇』に投稿して図書券を当てるほかない》
《夜、寮で名物の「艦隊」(そばやうどんの夜泣きの船沢山裏門に集まる)の立ち食ひに初めて出掛けた。立ち食ひが恥づかしい気がして顔をかくすやうにする気持ちに、まだ旧式な士族根性が残つてゐる》
出は第二次大戦後、日本共産党に入り、後に除名されているが、この青年時代に、ハルピンで伊藤博文が狙撃された(一九〇九年一〇月二六日)というニュースに対してじつにクールな判断を下しているのには驚かされた。
《全寮の面々深く悲しみ、顔色を変へて、「日本帝国の将来はどうなるだらう、」「陛下の御心配はどんなだらう、」と口々に言ひ、「公を殺した韓人の肉を呉れればナイフでみじんに切つて切つて切りきざんでやる」だの又「六高在学の韓人をなぐれ」だのと悲憤慷慨、周章狼バイし、また「この伊藤公の薨去に涙なきは日本人に非ず」とまで言つた。僕にあてつけて言つてるやうにもきこえる。まるで蛮人であり狂人である。僕はその気勢に圧倒されて言葉が出なかつた。しかし涙も出ない、心で笑つた。そして思つた、憤慨した。このやうな青年の居る限り、日本は到底改革されない。救はれない。》
《ただ小さい現実的な血に狂つた近視眼で、血走った眼で、古くさい黴の生えた大和魂や愛国心で、而も生誕以来自然に植えつけれられた盲従的な記憶で、藤公とその死に対する。ーー標的を高くせよ、高所から見よ。藤公とその他の日本人に屈辱されつつ尚ほ生存せんとす黙々たる韓人の位置に諸君の身を置いて客観するがよい。》
渡邊一夫の挿絵(ルネサンス頃?の楽器に関する説明図だろうか)は内容とはまったく関係はないのだが、じつにシャレている。扉のこのデザインのなんと軽々と爽やかなこと!