『現代思想』三十八卷六号(青土社、二〇一〇年四月二〇日、
表紙・目次・扉デザイン=松本弦人)。『spin』でお世話になった山内功一郎氏より頂戴した。深謝です。山内氏は「アレン、ローレンスとハートのジャック」を執筆しておられる。ディランの「リリー、ローズマリーとハートのジャック」を取り上げギンズバーグとフーァリンゲッティとの比較を試みながらディランの詞(詩)における「丸投げ」ぶりを指摘する。
同じような見解を別のアプローチで書いておられたのが市田良彦氏。「代書人ボブあるいは〈誤訳〉」。ドゥールーズがディランについて語ったときに引用したディランの墓碑銘の誤訳が誤訳に思えたり思えなかったすることについて。
《実際、ディランは盗んでばかりいた。知人の家からはレコード四〇〇枚、同輩からはコード進行、ウディ・ガスリーからはスタイルそのものを。そしてなにより民謡のメロディ。》
《もはや誰も彼のことを「剽窃」者とは呼ばない。たとえ他人の「思考を盗んで」作ったとしても、残ったのは彼の歌のほうであることは間違いなく、彼が「剽窃」されたことのほうがよほど多かった》
これは今直ぐ中国の某作曲家に教えてやりたい意見だなあ。そして
《ただニュートラル[六字傍点]にそこにあるだけの地帯(まさに墓のような?)に歌を作るという行為を置こうとしている。性格付けを拒むところに。》
これこそ丸投げ……?
そうそう、鈴木創士氏もアンケートに答えておられる。かなり長文の回答で、このためにディランを全部聞き直したそうだ。若いリスナーへのおすすめは『Time Out of Mind』『Pop Music's Poet Laureate』とのこと。
萩原健太によるディスコグラフィもあるし、寄稿者それぞれが挙げている参考文献を眺めるのも、テクストの方は読まなくても、けっこう面白い。