『八雲』第四卷第二号(八雲書店、一九四九年二月一日、表紙=岩田専太郎)より、稲垣足穂「松風」。テキストは『稲垣足穂全集』第十二巻に収録されているが、この挿絵が後年の売れっ子挿絵画家・高沢圭一らしくないタッチで面白い。
「松風」は足穂の神戸モノ。仲間たちとの関わりが一人の女性との交渉を軸に描かれた作品。意図してだと思うのだが、登場人物のイニシャルが重なっていて分かり難い。「T」と「I」が何人もいる(本人も「T」と「I」と両方で登場)。ただ、大正から昭和にかけての神戸の周辺の空気みたいなものはよく伝わってくる。
「スマの浦つて何のことか知つてゐますか」
Iの肩へ手を廻して、私は口に出した。
「知つてゐます」
「ではシスターは……?」
「きいてゐます」
「スマの浦とのちがひは?」
「一人と二人……でせう」
「そんならレスビアンラヴとは……?」
「……」
「それで」と私は云ひよどんで、「あなたとY子さんとはいつもいつしよにゐるが……さういふことは……」
「ありません」
はね返すやうな口調である。
「シスター」は塩田勝『流行語・隠語辞典』(三一新書、一九八一年)にも「シス」として立項されている。ところが『モダン流行語辞典』(実業之日本社、一九三三年)には
《シス 英語の Sister(シスター)の略。姉妹のこと。》
としか出ていない。また、どちらにも「スマの浦」は見えない。こんなときにと少しは集めてある小型の隠語辞典類を引っぱり出した。正岡容『明治東京風俗語事典』(ちくま学芸文庫、二〇〇一年、元版は一九五七年有光書房)、てるおか・やすたか『すらんぐ 卑語』(光文社、一九五七年)、『隠語全集』(刑務協会、一九五二年)のいずれにもない。仕方ないのでググってみたらすぐに判明。明治末頃の女学生の間で流行ったようである。
それにしても、昭和三十年前後にスラング辞典が多いのは偶然か、世相を反映しているのだろうか。国会図書館をざっと検索すると、昭和十年前後にも隠語と付く本は少なくない。要するに戦争を隠語がはさんでいるわけだ。