時里二郎『Loggia 7』(ロッジア、二〇一〇年一月三一日)。
「森のことば、ことばの森」の時里氏の個人誌。「森の綻び」は最近読んだ散文のなかでも印象深い一篇だ。空間の歪みを感じさせながらしっかりした着地点を見出している。もう一篇の仮剥製の話も、仮剥製(かりはくせい、学術資料として保管するための剥製)という存在自体が小生などには目新しく、自然科学と詩学の鮮やかな結びつきを思うのである。
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『ムーンドロップ』13号(國重游、二〇一〇年一月一九日、装丁=宋静蕾)。季村敏夫氏より頂戴した。「はかないとおもえるほどにーー詩集『編笠』に触れながら」と題された論考は『山上の蜘蛛』に連なる力作。ぬやま・ひろし(本名=西沢隆二)が戦時下の獄中で創作し(記憶し)、戦後になって出版した詩集『編笠』についての、ごく短く言えば、小野十三郎の「短歌的抒情をでていないな」という批判に対して、司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』を援用しながら反駁している。
《「地上の美しさというものの本質を、路傍の小石でも置いたようなさりげなさで」ひきだした。この言葉は『ひとびとの跫音』の最終部分にある。路傍の小石、このいいかたは断然いい。》
路傍の小石に注がれる季村氏の愛着がじつによく分かる。
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大屋幸世『日本近代文学小径ー小資料あれこれ』(日本古書通信社、二〇一〇年二月一〇日)。
《私が本書においてとり上げた多くのものは、文学史など、歴史の表舞台ではたやすく消え去るかも知れない資料だ。そこには私の微小なるものへの惻隠の情がある。それは私が微小なアマチュア的生存であるという、自意識からのものだ。》(「あとがき」より)
こちらも偶然、微小なるものへのまなざし。加藤美倫とか『これくしよん』の山内金三郎だとか『sumus』でも取り上げた人物について書いておられてとても興味深い。出版関係の見落とされがちな資料にも肉迫しておられる。
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これはKYOさんによる私家版『黒部節子詩集成』の「暦象」「アルファ」「灣」三冊本。
板倉鞆音訳『クラブント詩集』に続いてたいへんな労作である。内容は各雑誌に黒部節子が寄稿したものを逐一集めたコピー。やはり微小へのこだわりであろう。
添えられた書信によれば砂子屋書房から黒部節子文庫が出るようだ。全詩集として出版される予定だったようだが、縮小されたとのこと。全詩集は分厚くなって、結局、読まなくなってしまうのも事実、ただ《詩集未収録の作品が沢山あることから、全詩集があったらいいなあと思っていたので残念です》とのこと。
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『遊心』9号(古書Duckbill、二〇一〇年二月四日)。李須恵「「李朝」を作った人々」、「リタイア盲導犬の飼い主藤木正範さんに聞く」の記事が読み応え有り。目録も。店主のあとがきにこうあった。
《出版不況。どこでも聞かれる声です。ところがある方に、大きな目で見れば読書人口自体はさほど縮小していませんよ、と言われました》
読書人の実数は少なくなっていない、これは正しい見方だと思う。ただし、出版は読む人が支えているのではなく、買う人が支えている。買ってくれなきゃしょうがない。