『新建築』第二卷第十号(新建築社、一九二六年一〇月一日)。一九二五年八月創刊、現在も続く長寿の建築雑誌である。岡田孝男「エリツヒ・メンデルゾーン氏の作品と其建築観に就て(二)」が巻頭。なるほど! 昨年見た「日本の表現主義」展で展示されていた日本の若き建築家たちの模型やデッサンがメンデルゾーン(Erich Mendelsohn)の影響を強く受けていることが分かった。
念のためと思って「日本の表現主義」図録を開いてみれば、『エリヒ・メンデルゾーン氏作品集』(洪洋社、一九二五年)の図版が掲載されていた。展示されていたのか……。その図版は上の二枚の写真で、最初の「アインシュタイン・タワー」は向きが違うが、次の「ベルリン日々新聞社」は人物や車の配置もまったく同じなので、あるいは同作品集から複写したのかもしれない。
「アインシュタイン・タワー」(一九二一年)はメンデルゾーンのデビュー作。当時まだ新しい素材であったコンクリートを用いた彫塑的なデザインが話題を呼び、現在ではドイツ表現主義の代表的な建築作品とされ、建築巡礼の必須スポットとなっているそうだ。洪洋社がいかに素早く外国の尖端建築を紹介していたかがよく分かる。
メンデルゾーン(Erich Mendelsohn)
http://tanakatatsuaki.seesaa.net/article/36586238.html
Erich Mendelsohn - Oriental from East Prussia
http://www.architectureweek.com/2001/0124/culture_1-2.html
もうひとつこの広告に目が留った。「ベニス工房」。大阪道頓堀の伝説のカフェ「キャバレー・ヅ・パノン」の常連の一人、画家の鶴丸梅太郎のステンドグラスとモザイクの工房である。今現在のところ「鶴丸梅太郎」で検索しても、そごう百貨店心斎橋本店の天井モザイクの作者としてヒットするだけ。他には建設産業図書館蔵書の記事検索で名前が何度か出てくる。鶴丸は宇崎純一とも「パノン」つながりの知友の一人である。ベニスは水の都ではなく美の女神ヴィーナスだったのか。
「編輯後記」に面白いことが書いてある。当時から建築雑誌には広告が多かった。
《その広告の分量に就いて逓信局からお小言が来るのは少し困る、「広告が記事に較べて多いと認める、場合によつては三種郵便の許可を取消すから左様御承知ありたし」といふ注意書が来る。
それにしても少々可笑しい、世間には、広告面が三分の二、或はそれ以上の紙面を占むる雑誌が、殊に電気、建築・機械等の専門雑誌に多く見受ける筈だ、だのにどうして、斯んな注意が来るのかと、其道の(出版業者)に聞くと、「納本だけは別に作るんですよ」と云ふことだつた、本当か知ら。》
なお編輯兼発行人は吉岡保五郎。発行所は大阪市北区堂島ビルデイング三階、新建築社。東京事務所がこの年の九月に開設された。東京市丸ノ内仲通十四号館。