ジャネット・アブラモヴィッチ『ジョルジョ・モランディ:静謐の画家と激動の時代』(杉田侑司訳、バベル・プレス、二〇〇八年)を必要があって読了した。この本については購入したときに報告してある。
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はっきり言って、まず原文が読みにくい(のだろう)。つぎに飜訳が読みにくい。そして本文や図版の配置も充分に考えられていない。買ったままになって放置していたのも、その三重苦のためだった。しかし多少我慢して読み始めると、それらの難点もなんのその、書かれている内容はモランディを理解するうえでとても重要な事実の列挙であり、必須と言うべき資料のように思えてきた。飜訳者の苦労も並大抵ではなかったろうと推測できる。
日本でもモランディについては展覧会図録も数種あり、岡田温司氏の研究書もあり、同じく岡田氏による『芸術新潮』特集号も出ている(二〇〇五年五月号)。むろんイタリアをはじめ諸外国のモランディ関連書の数からすれば無いも同然ながら、とにかくも一通りのことは分かるのである。とくに芸新の特集はある意味トータルにモランディの姿をとらえた好企画。
芸新でも少しは触れられているが、アブラモヴィッチの方は徹底的にモランディと形而上絵画、とくにファシスト党との関係について(ともにモランディが、晩年、やっきになって否定しようとした関係である)同時代の証拠などを収集しており、そこから二大戦間をモランディがいかにして生き抜き、第二次大戦後(戦中からではあるが)、自らを神話化して行ったのかを叙述している。
画家がイタリア現代史のなかでどう生きたか、それはその絵に関係があるのか?
ないとは決して言えない。しかし、また関係ないからこそ、何百年前の作品であってもわれわれの時代においても共感して見ることができるとも言える。モランディがファシスト党員だったという事実を知ったところで、その絵が変るわけではない。もし変るとしたら、それは絵ではなくわれわれの方である。
実際問題としてファシスト党に入っていなければ公の仕事はできなかった(少なくとも教職にはつけなかった)当時にあっては特別なことではなかった。ファシスト党がイタリアに希望をもたらしたときには大いに利用し(ムッソリーニがモランディの絵を買い上げたそうだ! そしてそれをモランディは履歴書に記入した)、どうしようもなくなると棄ててしまう。ようするに大衆の一人だった、あるいは庶民だった。日本人にも覚えがあるだろう。
しかしその状況でも彼の描く絵は、あのふしぎな、何とも形容しがたい静物、または風景だった。それは変らない。厳密に見れば、時代の流れが敏感に反映されてはいるようだが、その基本は譲らなかった。その頑固さがモランディをモランディたらしめている。