「ボロをつむぐ 勝手ながら七痴庵戯文録」。田村さんのワンマンショー、面白い。「さあ、古本屋におなりなさい」はケッサク。例えばそのなかの「古本屋の原点は押し売りデハナイカ」。市会で仕入れた古本を車に積み込んで買ってくれそうな研究者の家を次々に回る。そして最後には日も暮れて、マクドナルドの駐車場に車を停め、懐中電灯で本を照らしながら「何かほしい本入ってないですかァ」と押し売りをするというAさんのお話(そんな古本屋さんが軽トラで回ってきたらすぐ飛び出しちゃうでしょうねえ)。そして
古本屋は、無知デアル、無知デアレ。
これもいい言葉だ。古本屋にかぎらない、なべて知は無知からデアル。
坪内祐三さんの連載「晶文社のこと(2)」はショッキングな内容。晶文社の倉庫にあった植草甚一の日記など資料が詰まったダンボール箱が紛失してしまったという話。う〜ん。植草のコラージュ日記をそのまま乱歩の貼雑帖のように復刻したらいいのになあとずっと思っていたけど、これでは不可能のようだ。下は『鳩よ!』(マガジンハウス、一九九四年一一月号)から。「記録王植草甚一の遊技」というカラー特集の一部。これは《協力・晶文社》となっている。
この翌年『太陽』(平凡社、一九九五年六月号)の「特集・植草甚一」でも大々的にスクラップ・ブックや日記が取り上げられている。こちらは《資料提供協力=関口展》とある。関口氏は植草甚一の甥で著作権継承者とネット上には出ている(小樽文学舎学芸員のよもやま日記、2002年9月)。
こんなに積み上げて写真とったりしちゃって! で、世田谷文学館の『植草甚一 マイ・フェイヴァリット・シングス』展図録を当ると、日記は一冊、スクラップブック四冊、ジャズノート三冊と入院中の手製ノート四冊が掲載されていた。巻末にある「謝辞」欄のトップは関口展氏、つぎが晶文社他団体、そして個人名がずらり。
坪内さんはこう書いている。
《世田谷文学館で開かれた植草甚一展でも、晶文社の倉庫で私が見たダンボール内の物は展示されていなかった。》
実際にどうなったのかは部外者の知る由もないが、こんな楽しいスクラップ日記はちょっとないなあと、今、これら雑誌を眺めて再確認するのである。