『小林勇 娘への絵手紙』(アートデイズ、一九九七年一一月一〇日、装丁=山本ミノ)。小林勇の絵手紙集。娘夫婦へ一九六五〜六六年(丙午)にかけて一年二ヶ月の間に百二十枚送ったもので、そのうちの六十二枚を収録する。当時小林は六十二、三歳、岩波書店会長の職にあった。
三十九歳で絵を始めたというから、仕事の合間を見ては、二十五年ほども描き続けていた時期のものである。生前は文春画廊、吉井画廊などで個展を重ねていた。没後も吉井画廊で何度か展覧会が開かれ、何年か前に小生も展示を見た記憶がある。絵のセンスはまちがいなく持っていた。もし最初から画家を目指していたら一派を立てただろう。
巻末の小松美沙子(令嬢)による「父の絵手紙」がいい文章。小林は冬青と号した。これは親しくしていた幸田露伴命名の「冬青庵」から取ったそうだ。
《その雅号は、昭和十七年、幸田露伴先生が鎌倉市扇ヶ谷にあった我家に御滞在になった時、離れの茶室につけて下さった「冬青庵」という名からいただいた。(後に私達は鎌倉の家全体を冬青庵と呼んだ。)冬青とはもちの木のことである。庭には冬も青々と茂るもちの木があった。》
『全植物図鑑』(博物研究会出版部、一九二七年九版)よりモチノキ。冬青科(ソヨゴ)に分類されている。この図鑑では冬青はソヨゴのこと。モチノキには「細葉冬青」と記されている。『牧野新日本植物図鑑』(二十八版)によれば「もちのき科」でモチノキのところに《冬青、細葉冬青というが、どちらも正しいものではない》とある。
何が正しくないのか分からないが、検索すると中国でもモチノキを冬青というようだ。薬膳として「毛冬青」がモチノキ科の植物の根を乾燥させたもの。また、中国人女性の名前に使われている。ふつうは青春というように青(=緑)は春の色。冬は黒(玄)である。
ソヨゴ(冬青)の樹液は赤色の染料として用いられる。「青」という漢字の下半分は「丹」という文字。海のなかには母があるじゃないけど、青の中には赤がある(丹は正確には水銀朱のこと)。常緑樹から赤系の染料がとれることを古代の人は「青」に込めたのである。なおモチノキ(黐ノ木)の名は樹皮を剥がして「とりもち」をつくるところから。冬青科(もちのき科)には他にイヌツゲやセイヨウヒイラギなどがある。
冬青庵は清春芸術村に移築されている。
http://www.kiyoharu-art.com/etc/tousei.htm
もひとつオマケで千代田区富士見一丁目あたりに冬青木坂〔もちのきざか〕がある。