『石神井書林古書目録』80号(二〇一〇年二月)。巻頭が稲垣足穂の「東京遁走曲」全原稿、『本の手帖』(昭森社)連載全八回分。このブログでも何度か言及した
マリネッツイ『電気人形』(神原泰訳、下出書店、一九二二年)も出ている(!)。他には寺山修司の天井桟敷資料が並んでいたが、とくに『カフェエ夜話』一巻三号(メイゾン鴻之巣、一九二三年)には驚いた。この雑誌については下記を参照。
http://sumus.exblog.jp/9607249
あるところにはあるもんだなあ。感嘆しきり。感嘆しただけで注文は……ううう(フリーズ)。
石神井目録とほぼ同時に季村敏夫さんからある雑誌に寄稿したという文章のコピーが送られて来た。昨年末の石神井書林・内堀さんとのトークの様子と感想がつづられている。そのイベントが終わった後、ある居酒屋へ季村さんは入った。
《のれんをくぐるや否や「なんで押されたんや」、声が舞った。ロードス書房の大安榮晃だった。そばに、「街の草」の加納成治もいた。詩人の顔はほとんどなく、古本屋さんの自由な参加という、ユニークな集いになっていたのである。
だから叱咤は、ある意味で当然だった。内堀氏のテンポよくくり出される具体性を帯びた話に、司会が突如聞き役になったこと、会が始まるや否や肌で感じた。若いひとなので、それは自然で初々しい。ところが、わたしも耳を伸ばすようになり、度しがたいことだが、その分、口数が減った。長年腰をすえて古書店を営むだけに、いかなる収集の話にも筋金が入っている。趣味で古書を漁るアマチュアのわたしとは雲泥の差であった。》
そうだったのか。独演会になっちゃいましたか。聞きたかった。ただ、その現象を季村さんはこういうふうに考え直す。
《感覚の前衛を目指した帝都の北園克衛や春山行夫たらに惹かれた神戸の詩人たち。そうか、神戸詩人事件で検挙された詩意識と彼らを取り巻く環境は、内堀氏に押され気味のわたしたちと同じ位相だったと。
となると、地域の出来事である神戸詩人事件をたどるための、一次資料としての同人誌収集の不可避性と不可能性は、普遍性を帯びたものになってくる。》
できることをやるしかない。それにつきる。ただ、ひとつ思うのだが、帝都と地方の関係は主従ではないのではないだろうか。たとえば、名前の挙っている北園克衛は三重県、春山行夫は名古屋出身である。瀧口修造は富山、稲垣足穂は大阪、衣巻省三は神戸出身。吉行エイスケは岡山だし。フランスやイギリスの文学最前線からすれば東京であろうと神戸だろうと距離の誤差はたいして問題にならない。船で来れば神戸の方が欧州には近いことになる。ちなみに内堀さんも神戸生まれ(東京育ち)の虎キチです。